TEXT 2003.05.26
高気密高断熱住宅も一般に知られるようになってきた。しかし、まだご批判も強い。特に最近「変だな?」と思ったのが、「高気密高断熱住宅は人間のエゴだ。家の中でも寒い時は、服を厚く着てしのぎ、暑い時は汗をかけば良い。それがとてもいい家だ」と言っていることだ。今、日本で暖房しないで寒いまま家で過ごしたいと思っている人がどのくらいいるであろうか?ほとんどの人が寒くないほうが良いと思っているだろう。「高気密高断熱住宅は、自然のサイクルから外れたとんでもない家だ。」と声高らかに訴える人でも仕事の移動は「自動車」だったりする。自動車だって人間のエゴといえるのではないだろうか?また普段使う電気だってその大部分は石油とウランで造られている。だからそれを人間のエゴと言う簡単な単語で主張する人は「電気を使わなければ良いのでは・・・」と思う。電気を一切使わない仙人のような暮らしだってできない事はない。自動車が環境に悪い事はほとんどの人がわかっている。しかし明日から突然離別できるものでない。人間は貪欲に快適性を求め続け、またこれからも求めるだろう。今まで培われてきた生活文化は「これは環境に悪いからあすからやめる」と簡単にいかない。私は原発推進者ではないが、反対者でもない。なぜなら日々電気を好きなだけ使わせて頂いているから、その電気の供給の1/3のまかなっている原発を反対とは言えない。
ではこのままどんどん環境悪くなっても良いかといわれると、それはNoである。だから私にとって今すぐできることは、「何事も大事にする気持ちを持つこと」ではないだろうか?
昔ながらの住宅の代表選手の民家。最近民家の移築や古材の再利用が多い。多いということは「民家」を手放す人も多いから。だから手放した民家を格安で再利用できると言う事である。ではなぜ民家を手放すか?ある調査では、冬、異常に寒い事と、カビ臭などの不清潔さそして設備の古さと言われている。しかし設備の古さはその設備を入れ替えばすむだからこれは最大の理由とは思えない。最大の理由は「寒い」事だ。日本海側の冬の日射はほとんどなく、寒くまた、物が乾かない。(洗濯物は暖房設備が無ければ1週間経っても半がわき状態)。だから200年も経った大事な民家も手放そうと考える。現代人にとって寒さは致命的なのだ。この民家に高気密高断熱の改良をすると、冬快適なため手放そうとは思わなくなる。家を大事にするためには、ある程度科学的な技術も必要であると思う。だから一概に「人間のエゴ」と言う簡単な単語で言い捨てるのは現実を見ていない。無理なく大事にする気持ちが続くようにその家に必要な環境を与える事が、大事ではないだろうか?
昔の日本人がこの小さい島国で物を大事にしたように、使い捨てはやめ、できるだけ長く使う事を心がける。そのため現実に沿った家を安価に提案し、その家の基本性能(耐震性、断熱性、気密性、機能性等)は大きく変らない事が重要で、素材は愛されような物とならなければならない。そのためにも暖房は必要で、断熱気密はその必要な技術である。暖房=断熱、気密という事である。