自然素材重視のこの時期だから木について真面目に考える!!
ほんとにうんざりするほど耳に入る集成材悪者論。特に新潟県では、ある大手無垢材信仰メーカーのせいで、偽りと脅し商法に近い販売を見る。「集成材は剥がれるからだめ」という脅し商法。しかし現在のほとんどの木造住宅には、どんな形であれ集成材や合板が使われている。多分99%の家はどこかしらには使われている。仮に「無垢材の家を造ったよ!」とおっしゃる方もいると思うが、無垢の扉であってもよほど大枚をを出さなければ接着剤で木を貼り合わせていない面材(大きな面積を占める部分)で扉を作ることは稀。高価だから・・・。机も椅子も全て接着剤無しでは成り立たない。どうしてその接着剤を完全否定するの?
事務所の打ち合わせテーブル。長さ4m、巾1mで、米ヒバで浅間が設計し組み立てた自慢のもの。これも5枚の板で構成された所謂「集成材」。
椅子も、無塗装のアルダーと言う木。しかし所々接着剤を使って貼りあわせているので、これも集成材となる?
決して天然材のまま使う事を否定しているつもりはなく、あくまでもケースバイケースと言う事。←重要です。
① 日本ではほとんどの住宅で使用される集成材。
住宅の99%は、集成材や合板が使われている。特に床下地の合板や壁の下地合板、和室化粧柱等は集成材が多い。その集成材であるが、最初に集成材の定義をしなければならないが、JIS法やJAS法、学術的な定義は無視して「集成材=天然木に一部でも接着剤を使った木。」とする。非常にわかりやすい定義。
この定義は皆さんからご支持いただけると思う。接着剤をたった一箇所使おうが、ほぼ全域使おうが、天然ではありえない素材となる。そういったものや接着剤が剥がれたら、その目的や用途を足さない使い方なら集成材となる。身の回りを見れば、家内部にある木の家具はほとんど集成材。仮に天板が天然木で一枚で合っても、その天板と足に接着剤を使っていればそれは集成材と呼んでもよいと思う。木製の椅子も同じ。繰り返しになるが、その接着剤が剥がれたら、テーブルとして、椅子として成り立たないような使い方なら集成材となる。だからほとんど全ての家は集成材がどこかに使われている事が想像できるであろう。
だからもし集成材の接着剤に剥離問題や危険物質放出の問題があるなら日本の家のほとんどが欠陥住宅になるであろう。そんな事を国が放置していたら、まさしく国交省は人員そう入れ替えという前代未聞の事件になる。そんな事は考えられない。
図1
様々な集成材の木たち。左から構造柱用集成材。中央は壁や天板につかうJパネル。右も構造柱用集成材。
② 集成材の歴史とエコ性
木は大きくなるためには、人間の成長と同じ歳月以上の期間が要る。杉であれば、柱ぐらいの小さな断面であれば30年経てばよい芯持ち柱が取れる。しかし、和室の柱など美観上価値の必要なある芯去り柱の場合は、最低80年くらい経たないと、全て赤みの良い柱は取れない。5寸角くらいを取ろうと思えば、100年以上は必要。カウンターなどの板材に至っては、200年から300年以上は当たり前。非常に多くの時間がかかる。家の寿命も150年くらいあればこういう木の使いたかもOKではあるが、現実は30年が現在の家の平均寿命。だからこんな木だけを使っていては家が建たなくなる。
ところが集成材は、30年以下の木から大きな断面の木を造る事ができる。たった径30cmくらの木から36cmの梁を造る事が可能。それも強度は元の天然木よりも高くできる。最近紙を作るのに、ケナフが使われる事がある。ケナフは成長が早い草で、木を紙の材料として使うより、エコロジーだからだ。集成材もこういった観点から見ればとてもエコロジー材料。
世界最古の木造建築は法隆寺という事は良く知られている。その長寿命を支えたのが大径のヒノキ。大径とは樹齢500年以上の直径1.2m以上もあるヒノキ。時には2m以上の木も使えたらしい。日本国内で大木が取れるのはこの頃までで、それ以後大木を入手する事は難しくなる。その証拠は、東大寺南門にある有名な金剛力士仁王像。像高8mではあるが直径2mの木があれば無垢の木でも造れた。しかし調べると何本の木を貼りあわせた集成材である。2mもある貴重な木は使わずに、屋根の下で使われる木には躊躇なく集成材を使う智恵。このように当時から集成材が使われていた。雨風をしのげば、集成材をつかっても800年相当の耐久性がある見本である。更に最近の技術では接着剤の性能が進化し、木より先に接着剤がだめになる事は報告されていない。宇宙船の建造の多くの場所に接着剤を使っているくらいだから・・・。詳しい歴史や作り方は日本集成材工業共同組合でどうぞ。
③ 耐震壁に使われる合板は集成材ではないの?
木造住宅で柱と梁は構造上重要な部材だとだれでもわかる。最近は、地震が多くあったので耐震壁も構造上重要な部分と理解されてきた。私たち建築士は、耐震壁(耐力壁)は構造材と認識している。しかし無垢材信仰の大手メーカーは、耐震壁を構造上重要な部材と考えていないようだ。
耐震壁は、最近構造用合板というものが主流になりつつある。今までは筋かいという、斜めの木材を柱に設置する事で耐力壁としていた。しかし、施工の安定性や合板の粘り強さから、耐力壁は構造用合板を使うことが多くなった。この構造用合板は「ベニヤ」と呼んでいた物と造り方は変わりない。木を線方向に1mmくらいで剥いで、接着剤で固めた物。1mmから2mmおきに接着剤があるというバリバリの筋金入りの集成材。このベニヤの接着剤を耐水用に代えて強化して作ったのが構造用合板となる。
無垢材信仰の大手メーカーは、集成材の接着剤が剥離するのでだめと言っているが、その次の頁には構造用合板で壁を造ります。「強くていいですよ。」とまでかかれている。全く意味不明。柱では接着剤を悪者とし、構造用合板では、無垢の木で作る筋かいをけなして接着剤バリバリの合板が良いという矛盾。こんなメーカーの話を信じる事のできる人は幸せ。私には全く理解できない。社会に害を与える情報を発信している企業としか言えない。
図3
こちら手前はは合板。木を3、5層に貼りあわせたれっきとした集成材。このような合板を耐力壁の部材として使う。
こんな薄い木を貼りあわせた板が集成材でないなら、何が集成材なのだろうと疑問に思う。
集成材が危険といっているメーカーの耐力壁は、この合板(集成材)で造られている。
>④ 脅し商法
集成が悪者とされ、無垢材が正しいとの言い分。これは人それぞれの考えだから問題ないと思うが、その悪者の理由が問題。悪者の理由は2つ述べられており、ひとつは接着剤からでる化学物質。これは無垢材にはない成分だから、「人間に悪い成分が発生する可能性がある」事自体は反論はない。しかしそれが「危険だ」と言われると話は違う。国がシックハウス法を平成12年に決め、それにのっとり、家の中にどんなに多く使っても健康な人には問題ない程度の微飛散量と定めたF☆☆☆☆に合致している物。これが危険なら、市販されている家具や車などは全て危険。法律に決まっている基準をしっかり説明無しに、必要以上に「怖いですよ」というのは、脅し商法と言っても過言ではない。無論、F☆☆☆☆だから絶対安全ではなく、ほとんどの人が問題ないレベルという線引きである。
2つ目は「集成材は剥がれる」と言っていること。確かに過去に接着層で剥がれた事件はある。しかし確率的に0.02%という非常に低い確率。品質基準が世界一と呼ばれる国産車のリコール率(最近は数パーセント)よりももっと低い率。それを剥がれる事故がさも多発しているような情報の与えたかは、所謂「脅し商法」。接着剤が剥がれる確率よりはるかに大きい天然木の思いもしない大きなヒビや割れなどは、一切情報を出さない所も問題。更に剥がれた事で家の強度が失われた事例は無い。つまり強度的には問題ない。またほとんど集成材はJASという国の規格を取得しているのに、その無垢材信仰の大手メーカーのHPに載っている写真に天然木材の柱梁にJASマークを見た事がない。天然素材にも規格があり、それにそっていればJAS材になる。しかし見た事がないというのは使っていないと判断してもいいのだろう。ようは国の基準より自社の考えがよいといっていることになる。まさしくどこかで見た「脅かし商法」である。
⑤ なぜ集成材を使うのか?
集成材をなぜ使うのかと問われたら、2つある。ひとつは品質が安定している。二つ目大きい素材は価格が安くなる。
品質の安定は解説する必要もないと思う。天然素材である木は、それぞれ1本1本違う特性がある。またその1本の中でも断面方向でも違う性質もつ。だからその性質のお互い良くなるようにしたり、悪いところを打ち消しあうように工業製品にしたのが集成材。だから品質はある程度簡単に安定できる。それを天然材のまま品質の安定をしようとしたらとても大変な検査工程になるだろう。二つ目の価格が安いという事は、細い部材や小さな部材(柱程度まで)なら、天然材のほうが同じ素材でも価格が安い。極端ではあるが一番上にある事務所テーブルのような1m巾の木を天然材で造ろうと思うと、樹齢1000年以上の木からしか材料は取ることが出来ない。更にその1000年以上の木の中でも、性格のよい木でかつ散弾銃の跡(意外と多い)などない木でないといけない。そんな木はおいそれと手に入れる事が出来ないという事は容易に想像できるだろう。仮に大枚をはたいて買えたとしよう。しかし現在のエアコンが当たり前の家の中では、変形する可能性がとても大きい。かりに変形しても味があって良いのだが、機能上はやはり劣る。ところが5枚合わせ集成材1m巾であればはどこでも手に入る。つまり価格も相当安い。だから集成材を使う。触感や肌触りは天然材一枚ものと比べ何も変らない。違うのは、一枚物は稀小品という満足感だけである。
冒頭お断りのとおり極端な話であるが、他の巾の大きい板物や、梁なども同じ理由である。