老人性痴呆症と家そして高齢者の家とは

家をコンパクトに。広く。

年老いたとき家は小さいほうが楽である。私の父は83歳。本日老人ホーム入所の
手続きをしてきた。父は、現在老人性痴呆症の中期にさしかかったところだ。
私は父が47歳の時のできた子供である。一般的に見れば遅く、1世代抜けている
感じである。私の子供は現在4歳。この4歳の子と、父が非常に似ている行動をとる
ことは当初不思議であった。子育てをした方なら経験があると思われるだろうが、
2歳くらいの子供は行動半径が意外と大きく、見ていないととんでもないところまで
冒険することもある。遊びも盛んで片付けても片付けても、思いもしないところへ、
色々な物が運ばれており、特に大切にしているものほど探し物は容易に見つからない。
父も同じである。大事なもの、電動かみそり、財布、メガネ、この三つは三種の神器
と呼ばれ、使うたびに消えてしまう。これは本人にとってとても大事なものであり、
きちんと?しまっておきたいため、時には布団のした、押入れの隅っこ、食器棚の奥、
というようにとても成人では考えられないところへと、運び込まれる。しかし、なくなって
困るのは本人よりも家族である。メガネが見つからないと大事な本人の通帳や、
モ書き、郵便物の文字が見えないため、父はパニッックになり、痴呆症特有の鋭い目
で家族に迫るのだ。「おまえが盗った。通帳を早く返せ!!」「これから借金取りがくる…」
等々。しかしメガネが発端だったことは、後になってみないとわからないから家族は困惑する。
このときの状況は家族にしかわからない。目が通常の輝きではなく、理性がない本能の
目に近い。この人は病気だとわかっていてもこの目を見るとつい感情が先走りする。通常は
このようなことを繰り返して痴呆性中期を過ぎて行く。しかしちょっと工夫することでこの
回数がぐっと減る。原因を取り除けばよいのだ。それはしまったものが直ぐ出てくること。
そう家を小さくするのだ。しかし、家の中でもストレスがたまらないように、空間は広く取る。
例えば普段いる部屋は、20帖以上。個室は6帖程度。あとはキッチンと風呂、トイレがあれ
ばよい。こうすることでなくなったものが見つかる時間は大幅に短縮され、穏やかに過ごす
とができる。見つけるのは当然家族である。老人はわれわれが思っているほど大きな家は
必要ないのである。間違わないように繰り返すが、部屋を小さくするのではなく、家を小さく
するのである。

人工的な環境がよい。

痴呆症も中期になると、本人は服の着替えが面倒でたまらない。特に冬は風邪を引くのが
怖いため下着を3枚、その上に毛糸のセーター、そしてシャツ、又セーター、と6枚着ている
ことも多い。下半身も毛糸のモモヒキ、パンツ、靴下、ズボンこれなら普通の人でも体を動か
すことがつらく、着替えなどしたくないだろう。老人は体が硬くなり着替えることはとても大変
なのだ。したがって朝起きてもパジャマのままで着替えたがらない。当然家族にしてみれば
着替えさせたくなり、無理にでも着替えるさせるとその反動が必ずある。怒るのだ。入浴もい
やな行動の1つである。冬は脱衣所が寒いため、我々でもためらいながら脱ぐことが多い。
これが、本能のまま生きようとしている痴呆性老人にとっては、いやなのである。寒いことは
危険なことであるため、なるべく避けようとするのだ。思い出してほしい。我々が子供のころ
も冬のお風呂は勇気が必要であり、時には父や母がうるさく言っていた。「早く入りなさい」
と・・。解決法は簡単である。人工的な暖かい環境を作り、服をたくさん着なくてもよい状態
にすればイイのである。そうなると当然室温が高いため服を脱いでも寒くなく苦痛にならない。
結論は高気密高断熱住宅にして家中を暖房にすることで簡単に解決する。この人工的な
環境は、夜も心配せずに眠れる。子供も同様であるが、どんなに寒くても布団を跳ね除ける。
夜中の起きるて見るとまったく布団をかけていない。拙者宅では室温を23度に保ち、子供は
最初から布団をかけない。だからのびのびと寝返りを打っている。(布団がないから重くない
)ある程度部屋の温度を上げるのが親にとっても精神衛生上よい。

介護者にもやさしく

真冬、暖かい部屋と冷たい廊下があると、家族のいらいらは募り、それが父に更なる悪影響
をもたらす。「寒いからちゃんと閉めて!!」イライラの声は、本能を研ぎ澄ました老人には、
「なんて意地悪な人」になってしまう。なぜなら父は、戸を開けっ放しにして部屋から出入りす
るときは、本人にとってとても大事な用がある時だ。そのためその他のことはまったく見えない
状態になるのだ。そしてその用を済ましたときは必ず戸をちゃんと閉めているのだ!!子供も
同じ。遊びに夢中のときは、そのことしか見えないため戸が開いていようが、寒いだろうが
一切お構いなし。まったく行動は同じなのだが、家族の受け取り方には、大きな違いがある。
それは老人が大人扱いされてしまうから、否定されることが多い。家族が「何で閉めてくれ
ないの!!」子供なら閉められないことがあっても、「遊びに夢中なのね」と思うだろうが、
高齢者にはそういったようには見てもらえない。

暖房のなかった時代、戸はあってないようなものだし、何しろ老人はボケるものだと思っている。
寛容な、そしてあきらめの気持ちがあったため、家族のイライラは現在より少ない。すると老人も
怒ることが少なく、穏やかさが多くの時間を占める。考えてみると多くの老人は子供に対しては、
ほんとに穏やかである。子供は自分を否定する事がないので心を開くのだ。話が少しそれたが
介護者にもやさしい家の環境を作るには、高気密高断熱の人工的な環境=家中が同じ温度が
良いのである.

「バリアフリー」は扉の排除から

住宅金融公庫(国)が進めているバリヤフリーはよい事が多いのだが、優先順番が違うような気
がする。住宅金融公庫では、まず段差を無くし、廊下や扉幅を広くすることを進めている。祖母
は96歳で亡くなったが、この住んでいた家は非常に段差だらけの家だった。増築を二度行い、
古い土間の有る家であったため、厠(便所)は、土間を挟んで一番外れに有る。このためトイレ
に行くにも勇気がいる家だった。しかしそんな家でも転ぶわけでもなく、最後までちゃんと足腰を
鍛えていた?当時何が不便かといえば、やはり寒さであった。(給湯設備も今ほど整って無く)
また、自分専用の便所が無かった事が不便ではないかと思い出す。

年をとって車椅子過ごす割合と時間は、ほんの一時であり、多くはゆっくりと遅いが自分で歩く。
廊下幅が1m有ったって実際車椅子での移動は難しい寸法だ。それだったら廊下をなくし、扉を
排除できる家。そう温度差のない家であれば廊下や扉は最小限度ですむ。自分の行動を考え
れば直ぐわかる。気候の良い日はたとえ窓が開いていても閉めなくても問題ないが、冬になると
どんな小さな空間でも人がいるところは戸を閉めて暖気を閉じ込めようとする。ましてやトイレの戸
が開いていたなら、普通は冬でも窓を開けて換気?しているため、必ず扉を閉めておくものだ。
しかし高気密高断熱の家は便所の戸が、いつも開いている。そう映画に出てくるアメリカの家
みたいに。寒くも臭くもない清潔なトイレは、部屋の一部なのである。昔の家は廊下があまりなく
部屋と部屋はふすまで仕切られているが、欄間が冬でも開いていて、家全体が1つだ。良く考え
るとこの頃は、暖房することは少なく、したがってとを戸を閉める必要がないのだ。戸を閉めるよ
うになったのは暖房というものが利用されてはじめてからだ。もし家中暖房であったなら、閉める
ドアはトイレぐらいで良いのかもしれない。こう考えると、ほんとのバリアフリー条件も、家中暖房
からではないかと思う。なぜなら転ぶ大きな原因は、スリッパやすべる靴下を履かなければいら
れない、冬の床の冷たさがあるためだ。家中暖房の家は真冬でも裸足で過ごせるため必要なく
、裸足でしっかり床を捕えて歩いくことができる。

廊下は広いほうがよいか?

廊下はできるだけなくすことだと思う。昔の日本の住居には広縁は有っても廊下というものがない
ことが多い。お屋敷や城は廊下が多いが、住居というより迎賓館のようなものだから通常とはいえ
ない。私の子供の頃の家も、広縁は有っても廊下は存在しなかった。部屋と部屋は襖や障子で仕
切られているため、廊下の必要性はなく部屋の一部が通行路となるのだ。そういえばと思い当た
る人も多いだろう。何が廊下をこんなに普及させたか?プライベート空間の尊重はがあげられるが
、それと同時に生活が豊かになりストーブ(イワユル暖房)が普及したためである。では暖房をなく
せば廊下が減り、高齢者にとって良くなるか?といえば答えはNoである。暖かい環境に慣れ親し
んでいるこの時代から暖房を取り上げることは、家のサッシを紙障子にすることに等しい。ではどう
すれば良いか?何度も恐縮であるが、家中暖房を考えればよい。そしてそれが簡単に叶う断熱性
能と気密性能(高気密高断熱)があれば良い。部屋から直接トイレに入れるようになれば、なお良
いのである。水洗トイレになってからトイレは不浄空間から通常空間になったためホテルのように部
屋にあっても抵抗はない。老健施設へいってみると施設の中は全館冷暖房設備なのだ。そして各
部屋にも便所が有ることが多い。
以上痴呆性高齢者に偏っているが、私が父を目の当たりにして、どうすれば穏やかに過ごせるのか?
安全であるのか?活発に過ごせるのか考えて2年が経つ。住宅の専門家として見る高齢者住宅と実際
生活を共にする家族では、家に対する考え方がちがう。家で転ぶのは、つまずものがあるためでなく、
つまずかせてしまう環境に原因があるのだ。つまずくものは、家からそして家の外でも排除不可能だ。
日常の住居は、スロープや点文字、車椅子用通路が有るの公共施設とまったく別の条件だ。ここをいっ
しょに考えてはとんでもない方向へ住宅はいくだろう。
父の徘徊と放尿はひどくなり、母も介護疲れで倒れ、やむなく選択した施設への入居ではあったが、少し
時間がたつと、父が自由に歩きまわれる空間と、穏やかなケアサービスによって表情が穏やかになった。
これで施設に子供や動物がいるような環境になると、父に笑顔が戻るような気がする。人間(犬も?)だけが笑う。
父は最近笑いが無くなった。