住宅の価値は、そのバランスででほとんど決まると言っても良いだろう。
古き良き民家は、棟梁が当時の業を尽くし建築されている。人の手間より材料が安かった時代には、今では考えれれない暴れ木を使用し、その組み合わせで建築物を造っていた。曲がった木やねじれた木をそれなりに使った。勿論旦那様衆の家は、曲がった木は使わず、高くてもまっすぐの性の良い木を使った。民家といえば、曲がった木組みを想像するが、庄屋様クラスの家には、まっすぐの木が多く使われている。
いずれにも、木造をしっかりと感じられる、無垢の家である。しかし近年はこういった民家を手放したり、解体したりしてしまう持ち主が多い。
今回の民家もそうであるが、構造材料的にはしっかりとしているのだが、手放す理由はバランスが悪いからである。
1.寒い。
2.間取りが合わない。
3.設備が古い。
4.古くて構造的に心配。
となる。
1.の寒いというのは決定的である。本当に寒いのである。一度このようなだだっ広い空間で冬を過ごしたことのある人ならわかるが、暖めている居間であっても、隙間風が通り抜け、リビング以外は外気温と同じ室温である。今でもMSNにある家のサイトの有名?な建築士は、「夏を旨とすべし」が家の基本と言ってられるみたいであるが、全くナンセンス。現代の家は、暖房に全消費エネルギーの1/3を使い、冷房に使うエネルギーは全体の5%にも満たない。これは「夏を旨とすべし」と書かれた徒然草の頃は、現代より平均気温が高く、(夏は今よりもっと暑かったらしい)冷房など存在しない、また暖房という事など考えられない時代背景であった為、夏を中心に考える事が理にかなっていたのである。しかし時代や文化が大きく変化した現在は、町は車が熱を放出しながら走り、アスファルトは熱を蓄熱し、そうかと思えば、オフィスでは冷房ガンガン。これで我家だけ通風、団扇、扇風機だけ過ごすといっても大部分の住人の同意は得られないであろう。また、暖房を当時のように我慢しようといってもこれも大部分の人が同意しない。暖房は人間にとって本能的に快適性を得る重要な要素であるからだ。そのむかし、まだ家を持たなかった祖先たちは、暑さは水があればどうにかなるが、寒さは死活問題。寒ければ即生命が絶たれる事になる。その本能は今でも我々のDNAに引き継がれ、寒さは精神的、肉体的ストレスを生むことになる。
簡単に結論を言えば、民家のような大空間こそ最高の高気密高断熱性能が必ず必要という事である。そうすれば少ないエネルギーで心地よい暖房が可能である。床暖房だけでは不充分である。
2.は1が解決すれば問題なくなる。間取りがあわないからだめという理由は、やはり冬の寒さからきている。寒くなければ多少広くても困る事はない。
また簡単に仕切れるので、部屋が必要になれば、仕切ればO.Kなのだ.。
3.これは設備を入れ替えれば済むだけ