「 2008年10月07日 」一覧

「緑の家」が目指すものは?その2 10/7日22時加筆修正

前頁では「希望」をお伝えした。今回は備え。

何が備えか?

誰もが化石燃料が永遠に続くとは思わない。明日にはすぐなくならないだろうが、20年後はどうかわからない。地球の1/3くらいの人口を占めるインドと中国の急激な先進国化。つまりエネルギーを大量消費する国が突然増えるのである。日本はもともと島国。限られた資源で生活しなければいけない社会であるし、それを実践してきた。しかしこの1世紀だけは例外で、足りない資源を船によって海外から調達できた。それが今後だんだん終わりになるだろうと思われる。

日本は少子化でこのまま行くと確実に人口が減る。政府や多くの識者人は危機的状況であるといっているが、私はそうは思わない。危機的なのは人口が増加すると仮定してきた社会保障と税金である。これらの方向を転換すればよいだけ。もともと日本が自給自足、地産地消で循環していた江戸時代300年間の人口は約3000万人という。日本の資源ではこれが持続可能な社会の上限人口だと歴史が教えてくれる。だからこれに向かってゆっくりと舵を切ったのだ。そう自然と皆が感じ取ったかもしれない。また1世紀かけて3000万人に減ってゆけばよいのではないかと思う。その過程でエネルギーが足りなくなり高騰する問題が出てくるであろう。だからそれに「備えた」家造りが「緑の家」の性能である。特に断熱気密性を高めたSSクラスでは、ほんの少しのエネルギーで家全体をあっためられる。少なくても冬の寒さ(恐怖)から逃れられる。人間を楽しくないほうに動かす(悪)エネルギーは、「恐怖」から生まれる。生命の恐怖である。その中には「飢え」「寒さ」が筆頭でそれ以上はない。なぜ働くのか?それは飢えや寒さから身を守るため。この2つが満足されれば、取り合えず生きていくうえでの「恐怖」がなくなる。あとは寿命(老い)の「恐怖」だけであるが、これは信仰?によって解決されるであろう。

地球温暖化は防止はできないと内心感じている人がほとんどだと思う。原因が二酸化炭素とわかっているなら、二酸化炭素を出さなくすればよいということだが、明日から車やめられますか?電気を使うのをやめられますか?水道をやめて地下水しますか?暖房をしないで冬すごせますか?できませんよね。仮に志高く一人で実行しても二酸化炭素はほかの誰かがたくさん排出しますよね。便利なものすべては二酸化炭素を多く出す。人間は怠け者だから便利を好む。だから二酸化炭素を出さない社会は実現不可能(半世紀では)となる。しかし時の流れ(地球)はよくしたもので、必ず余計なもの淘汰してくれる。このとき淘汰されないように備えてきた生物が今残っている生き物なのである。地球をコントロールするのではなく、地球や生物の出す条件に沿うように変化するのが生き残る生物である。

新築時に太陽光発電パネルの設置希望が購入したいエコ設備のトップだそうである。私なりに理由を考えるとこの設備でお金を儲けよう(光熱費ゼロ)と思って付けているというより、仮に将来電気が供給不足になったら、自分の家は自家発電ができるという危機管理意識があるのではないだろうか?そうでなければ25年以上掛かっても設置費用の元が取れるかどうかの太陽光発電を、積極的に付けようとは思いにくい。純粋に地球温暖化防止のためだけにつけている人は少ないと感じる。

さて、先回の「希望」と今回の「備え=現実社会」の2つが相反することで成り立っている。ひとつは気遣う心が将来の持続可能な循環社会の希望育むこと。もうひとつが人間の欲には歯止めが利かないので来るべき時代に「備える」こと。この両輪があるから未来が語れる。常に相反するもの(光と影)が必ずつりあって存在しているのが、この太陽に光エネルギーをもらっている地球上の生き物だから。


「緑の家」が目指すものは?その1

お気づきかも知れないが、当事務所のホームページには、意外と「地球温暖化防止」又はそのための「エコ」という言葉が少ない。(実は載せたくないと思っているのだろう)冷静に考えると「緑の家」の目標は、「将来を見据えた家」と「希望が育まれる家」なのかも知れない。まるで言葉遊びのような地球温暖化防止とか見かけのエコに惑わされないということ。

まず何が希望か?

当HPにも少し説明があるが、無垢の自然材を無塗装で使うことをお勧めしている。これは肌触り、香りが勿論よい安らぎを与えるのでるが、もうひとつ大きな効果がある。それはものを大事に使う心を育むということ。偉そうに聞こえるがそうなのである。

無塗装の木は、少し荒く使うとすぐに傷がつく。そして汚れる。だから自然とやさしく家を扱おうとする。神経質になって綺麗にしようというのではない。あくまでも「気遣う」のである。

お住まいになっている所へ訪問させて頂くと、小さなお子様がいらっしゃれば床や壁は汚れていることも多い。しかし汚れとは逆に皆さん木(家)を愛していらっしゃることが肌身でわかる。木に傷がつくと親は「悲しい」ことになるが、それを子供は察して今度はなるべく気をつけようとする。その子が遊びに行くご近所のお家では、普通の硬いフローリングなのであるが、そんなとこでも気をつけようとするのである。乱暴に扱えばすぐに破壊される木。身の回りの環境のほとんどが実はそうである。地球上で食物連鎖のトップに立つ生物だからこそ、乱暴物であってはならない。乱暴に扱えばすぐに人にやさしい(人に都合のよい)自然はなくなる。そんなことを、傷つきやすい「緑の家」で感じ取っているのではないだろうか?このような環境で育った子供たちはきっと自分以外の他のものに気を使うことができるはず。そんな子供たちがつくる将来はより住みやすい社会になるのではないだろうか?という希望である。