家は自然(他生物)との戦いと征服から

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今日の午前中は激しい雷雨となり、午後から曇り・・・外へ出ると、

見事に風が夏の匂いになっておりました。草の香りというか、何なんでしょうね。この香りは・・・。

さて、今日は堅いお話しで文字だけなのでスルーしたい人はクリックして読まないで下さい。

自然と共存しようという「環境共生」とはたいへん耳障りがよい言葉です。しかし最近少しだけ違和感があります。

ご存じように「て・こあ」という田舎の築100年という建物にふれて、管理を行うようになってから「自然は驚異で恐怖」であることがよくわかります。今までは市街地でしか暮らしたことがなかったので、その事がよくわかりませんでした。

自然は驚異の一例は・・・

1 土地に何も手入れをしないと「林」にかえる。

2 人為的な薬剤を散布しないいと、アブや蚊、蛾(毛虫)、ブユが大発生する。

3 家の自然素材は、人の思いとは反対に直ぐに土に還ろうとする。

4 氷点下が続くとエネルギーが切れた途端、生命維持の恐怖を感じる。

等々です。

今普通に暮らす道具や設備、薬剤、機械、素材は、過去の先人達が苦労して自然との闘いに勝つために造った道具や素材であることがよくわかりました。だから簡単には「環境共生」とは言えず、人は「自然をコントロールしてきた」歴史があるので、共に生きるというより、人に害がない程度に自然環境を征服した上での「環境との共生」であるということです。そうでなければ人は他の生物との生存競争負けてしまって存在しておりません。

ですので「環境共生」というより「環境征服」という方がよいかもしれませんが・・・。

1・・・
一年草刈りをしないだけで畑は草原に、そして数年で林の子供になります。かといって除草剤は嫌いなのでやはり草刈りをする事になります。日本ではそういう環境が殆どです。緑が好きなのに草を刈る・・・つまり人に都合の良い草だけを残すことです。草刈りが面倒な人は、土を止めてコンクリートや砂利に変えます。田舎の農家ほど畑や田んぼで雑草に苦労するから、自分の家の庭はコンクリートで固められており、樹木などは生やしません。

2・・・
夏、田舎では半袖では腕がふくれあがるほどヤブ蚊やブユに刺されます。市街地でブユやヤブ蚊がいないのは、過去に薬剤による掃討が行われたからです。またある程度管理できさえすれば、天敵は適度に発生しますがそれにはムラがあり過ぎます。ブユや蚊の天敵を残し、ブユや蚊だけを排除する薬を撒けば・・・という発想になり、これも人の都合の良い虫だけを残すということです。

3・・・
自然素材といいつつ、木にオイルやワックスを塗ったりします。自然素材とは、常に土に還りたがるものです。それを人の都合で土に還りにくいように薬剤を使います。また焼き瓦を自然素材と言う人がいますが、焼き瓦を廃棄するときは、土に戻らないので特定の産業廃棄物となり高価な処理代を払う事になりますが、コンクリートは砕くと土に敷き込む材や、地盤改良材として土と同等に扱われます。どっちが自然素材かといえば、コンクリートの方が自然素材と言えるかもしれません。

4・・・
これは雪国すんでいなくともスキーなどしたことがある方ならわかると思います。氷点下は人の生命に最も必要な水を個体の氷に変えてしまいます。こうなると人は3日と持ちません。

こんな感じで自然は驚異で恐怖なのです。

また最近気がつきました。自然が沢山ある地域住んでいる人は、この自然の恐怖を間近に常に体感しているので、緑が大切とか風が重要などと思っておりません。風は必要以外時に何時も吹いているもので暑いときこそ風は止み、風は制御不能と理解しており、緑は勝手に増え続け刈る手間がかかる邪魔なものだと思っております。しかし自然が殆どない都市部に住む人ほど、家には風の取り入れる事が重要だと思っているし、緑は大事にしたいと思っています。この矛盾・・・というか皮肉というか・・・。まあ本当に自然が好きな人は田舎に住んでいるし、嫌いな人は都市部に住むのでしょうが、それが自分の気持ちとは別になってしまうことが多いので矛盾が生じるのかも・・・。

まあ・・・両極端では社会がまわりませんからバランスが重要になり、そのバランスこそが結局人の都合の良い環境に管理する=征服ということで、その管理度合いが都市部と田舎で若干の違いはあれ、お同じ事と感じるので環境共生という言葉に、ちょっとだけ違和感があるのかもしれません。

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