昨日の朝の海。空の色がもう初夏を思わせるくらい。まだパーゴラには簾が不要な季節。
昨日の定休日は家族がダウンしてしまい、ほぼ寺泊の自宅に軟禁。一時間だけ「て・こあ」に山の手入れにいきました。皆さんもご存じの通り、拙宅は海の真ん前にあります。そのお話しをすると
「釣りやサーフィンをやるのですか?」
と聞かれます。私は釣りこそほんの少しやりますが、サーフィンはしません。また家族もしません。ではなぜ海の近くに住んでいるのかというと・・・
それは・・・
海が好きだからです ってあたりまえの答えです。
海を眺めているだけで心が落ち着きます。ざわつきが消えて穏やかになれるのです。昨日遅い朝食は海を眺めながら頂きました。
林の中からみる「浄善寺」様。綺麗な屋根で見事な景観。
一方「て・こあ」では裏山に入り、杉に絡みついた蔦をのこぎりで切断する作業を一時間だけ行いました。今の季節の山は人の入山を拒まない環境で、夏には入ることも出来ないヤブでも簡単に行けてしまいます。そして林の中は何時も穏やかで、強風が吹いている昨日でさえ林の中は静寂です。
「て・こあ」の屋根はガルバニュームに吹き替えた。瓦の1/ 3 7程度の重さなのでこの老棟には優しい屋根。
その裏山から見ると「て・こあ」の錆赤の屋根がふわっと浮かび上がり、足元を見るともうスミレが咲き、「トカゲ」が日向ぼっこをしています。
そして山の水たまりには何かの卵がふ化を待ちわびているかのように・・・
春を感じる山から戻り再び自宅へ・・・
海はまだ荒れており、テトラポットが上下しているように感じるほどうねりがあります。
海と山・・・
どちらが好きですか?と聞かれたら、私は
海
と応えます。
風が吹けば直ぐに荒れ狂い、風が止むと途端に凪ぎになる海・・・。好きと嫌いがはっきりしていて、人の影響がおよばない、どこまで続いているような束縛されない気持ちになれます。そして穏やかなときには裸(水着)でも影響がないほど人に柔らかい環境を造る・・・これが生命の子宮と人から呼ばれる理由の一つなのかもしれません。
一方山は何時も穏やかで感情を抑えた神様にように感じます。しかし裸でいる事はできないそんな厳しさがあります。
私は・・・
海がすき
素直に感情を表す・・・まるで無垢な子供のような素直な心が宿っている・・・そこに魅力を感じます。
今日も1日無事に過ごせました。・・・感謝です。ありがとう!