今週県外へ工事監理に伺う気持ち。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

地元のジャーナリストさんが発信する情報誌において、今回の新型コロナCOVID-19の対策として闇雲に「県外ナンバー」を批判するような記事があった。もしジャーナリストと思っているなら冷静な報道内容として果たしてそれはどうかなと思わざるを得ない。

私は今週工事監理で群馬県高崎市に伺う予定であるが、このようなジャーナリストまで「恐怖」によって普段の思考・判断が鈍ることを危惧する。

新潟県は先日「県境を越える移動の自粛を訴える緊急共同宣言」を出したが、多分感染者数が少ないので他県から持ち込ませない、また他県へ持ち込まないようにすることで感染拡大防止との発想。しかしジャーナリストさんは、既知の情報として感染していても無症状の人が8割にもなろうとしているこの感染病で、自分は既にかかっているとは思わないのだろうか?自分が感染者かもしれないのに、他県の車のナンバープレートだけで、「何故この時期に県外の人が新潟県に来るのだ」と言ってよいのだろうか?生活維持に必要な移動は緊急事態宣言でも認められている。生活の維持の定義は人それぞれであるが、少なくとも損失の補償がされない仕事関連での移動は県外であろうと全て生活に必要な事であると私は思う。

多くの人がウイルスの恐怖に少しずつ犯されて最初の飾り言葉の「人にうつしてはいけない」が本心の「他の人からうつってはいけない」というモードになって来ている。「自分は対処しているのにあなたはどうして対処しないの?」と言う気持ちが恐怖によって前面に出てきているためではないだろうか。当然緊急事態法によって不要不急以外は外出しないようにという指示は受け入れ、協力しなければならないが、今現在の法律で不要不急を決めるのは国民の一人一人の考えと価値判断である。私は仕事が不要ではないし、離れている家族が集うことに移動するのは不要ではないと考えている。

これだけ広まったウイルス・・・もう止めようがないし、止める必要性のある程強いウイルスとは最初の時点(1月の終わり)から思っていない。それでかかったらインフルエンザのように誰かのせいにするのでなく、自分の体調管理がよくなかったと考える今までの思考回路になりたい。

つまり恐怖に負けないで平常どおりの思考回路で過ごしたいと思っている。多分2年後にはこの新型コロナCOVID-19などこのように報道されなくなるだろう。それは・・・他のインフルエンザと同じくこのCOVID-19が世の中から絶滅しているのではなく、多くの人がCOVID-19に感染し、体内に抗体が出来る免疫バリアーで社会が守られるためである。当然変異したウイルスに再びかることもあるが、同じような種のウイルスであれば軽症で済むといわれている。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする


コメント

  1. 岩手のM より:

    新型コロナウィルスに関しては、浅間さんの考え方と全く一緒です。
    リスクのある方、高齢者の方が重症化する可能性が高いと分かって居るので、その方々の保護と、医療体制の十分な準備をした上で、段階的に非常事態を解除すべきと思います。
    今知りたいのは、ここ数年に比べて、1月〜3月の死亡者数が増えていないかです。
    もし増えているとすると、新型コロナウィルスでの死亡者数が過小評価されている可能性が高いためです。
    例年と変わらないレベルであれば、そもそも非常事態宣言も要らなかったのでは無いかと思います。
    いずれにしても、国はマクロにデータを見て判断していないのでは?と日々思い不安です。