先日の「日中の通風(風通し)では室温は下がらない」で熱画像を取り上げた旧味方村にある旧笹川邸を紹介したい。
私は新しい建物を見るより古い建物を見るのが大変好きである。
そこには一人・一企業の考えではなく大勢の知恵で時間をかけて作られた「決まり」が見えるから。
例えば・・・上の図面から
新潟県の平野部(海岸から10km内陸)では、建物の向き(玄関のあるアプローチ面)は東南がベストなんだな~とわかる。普通は真南が一番良さそうだが、あえて45度振って東南に正面を構えることが一番よいのだろう。
確かに・・・このあたりの冬期の卓越風は南西から北西方向になる。この範囲なら東南にアプローチがあれば冬の暴風時にでも玄関戸を開けることが容易に可能。真南では一番強く吹く南西の風を受けてしまう。
敷地は廻りのお掘りから東西から南に少しふれて軸があるような感じだが、建物が敷地軸より更に南に振れているのは興味深い。一方半分の蔵はほぼ東西を軸としている。この違いはなんなんだろう。
新潟県は広大な水田が可能だったためか、大東亜戦争前は大きな8つの豪農があった。そのひとつがこの旧笹川邸である。旧笹川邸より大きな建物は他にあるがそれら建物は別邸や明治以降の建築が多い。しかしこのブログで度々紹介した関川村渡辺邸とこの旧笹川邸は江戸時代の建物である。無論いろいろと改築されているがそれでも多くがそのままの形態というところが良い。
先ずはこの門から。素っ気ないよう門だが茅葺きで当時のまま残されているのに引かれる。まるで日本昔話の絵のごとく。
この門は巽風門と呼び一番古い建築で450年前とのこと。ホントなら凄い。
左の立派な玄関はお殿様用で普段は一切使われない。殆どの客人は一番右側から入り、その左にある枝分かれした玄関はお供の方の為の入り口らしい。
今年は雨が降らず手前のスギゴケが殆ど全滅状態であり、この前庭はもとからこのような様相なのか・・・。
「緑の家」では家の前の木々が家を引き立ててくれると説明するが、実は神社でもお寺でもアプローチはこんな感じであっさりしている。門からは建物のみ見える・・・これでかっこ良いのが「建物デザイン」なのだろう。
今回旧笹川邸を尋ねたのは熱画像と気温測定が目的だったので建物をよく見てこなかった。よって表面的なお話しに終始する。
この建物で一番好きな空間はやはりここかな。囲炉裏の間。
ゴザと板の間のバランスがとても良く、気配が今でも伝わり囲炉裏にあつまる人達が見えてくる(ちょっと怖い)。壁は黒く煤けており正面壁だけは白く塗り替えられていた。元々古民家の壁や柱は煤で真っ黒が普通であるが、リフォームすると白い壁と煤けた柱になってしまう。だから私は壁も黒いのが好き。この囲炉裏は6から10人程度で囲める大きさがあり、客人をもてなす囲炉裏だが、↓の写真のとおり家人専用の囲炉裏もある。
囲炉裏が小さくなり4から6人で囲むような大きさで一般的。この土間キッチンと囲炉裏の一体感が日常的。ただし土間キッチンは改修されたようで・・・というよりここと隣の雪隠だけ後で増築されているようなプラン・・・。次回ガイドさんをつけて案内してもらおう。
石の土間・・・これはこれで魅力的である。
冷気もつくっているようであるが流石にちょっと他の土間より高めの32度の表面温度。下の大きな囲炉裏の間の大地である土(三和土)の土間は29度と3度もちがう。
土間はその仕上げがコンクリートや石では湿気の放出力が落ちるので冷却力が弱くなると思われる。このあたりはしっかり抑えておきたい。どんな民家でも必ず土の土間がある。このように昔人は冬の寒さより夏の暑さに対応した家を造っていた。所謂つれづれ草に出てくる例のあれである。
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。 深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。 徒然草 五拾五段
事実・・・あまり知らされていないが、この徒然草が書かれた鎌倉時代は、今よりも数度以上気温が高く、海進が進んだ時代として有名である。
上のグラフはここのHPからの転載である。そのHPにはに亀田郷の歴史の紹介があり、このような貴重な話がネットで読める時代に感謝である。