長谷川邸の見学

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これは2週間前にアップし忘れた記事である。

星名邸からの帰り道にある越後最古の民家である長谷川邸に立ち寄った。長谷川邸には30年ほど前に一度訪れており、その当時の記憶より今の長谷川邸のほうがしっかり整備されているように思えた。多分その30年の間におきた2度の大きな地震で修繕されたことがそう思わせる。

茅葺き急勾配の屋根がTVアニメ「日本昔話」の庄屋さんと同じプロポーション・・・というよりこのような建物を模して書かれているのだろう。

訪れた時間は15時30分、閉館まで1時間と急ぎ足で見ることになる。

農業で財をなした長谷川邸は渡辺邸とおなじように通り土間まで米俵を積んだ荷車がまっすぐ入れるようになっている。

この土間空間の構成では外壁には太い柱はなく、外壁から1間ほど中に太い柱で大きな屋根を支え、地震などもこの木組みで吸収すると同時に、外壁もつっかえ棒のように水平力を負担しているように思われる。

長谷川邸は1750年頃の建築で当時の江戸の気候は平安以降日本でも最も寒い時期といえ、1703年の赤穂浪士の討ち入りした1月30日の前の日には江戸に降雪があり次の日まで残っているくらい積もっていたとの記録がある。しかし昨年ブログでお伝えしたとおりそんな寒い気候でもこの建築様式は最も暑かった鎌倉時代の建築様式であると思われる。土間床の外壁下部は隙間だらけで風通しが抜群の構造であり、とても寒さに対応した建築とは言えそうもない。冬期はここを何かで塞いだはず。

1階床位置は地面に近く、新潟にのこる他の豪農建物より低い。長谷川邸より100年後の1850年に建築された笹川邸では、標高の低さが理由であるかわからないが、長谷川邸より一段高い位置で床が貼られている。先回の星名邸でも低かったが、これは江戸時代の大庄屋制度から考えて、農家には大名が立ち寄るが商家には表向き立ち寄ることはないので、床が低いと想像できる。

外壁下が隙間だらけ土間空間。その一方天井が無く見上げるほど高い。

1階床下の囲炉裏があるところ。矢印は古い柱か束が残っている部分に新たに束をたしている。

お風呂の湯はこの土間で造られる。そのため湯専用の釜があったとのこと。

土間床より30cmくらい低く造られる釜場。

この長谷川邸で少し考えさせられる事があった。それは裕福な家では必ず木に漆を塗っていたこと。なぜ塗っていたのか・・・。その理由を知りたい。やはり煤による汚れ防止なのか?

大豪邸であっても現在の住宅の柱に漆を塗る事はまずない。

この漆塗り・・・確かに綺麗で好感が持てた。

「緑の家」でも過去このような濃い色を塗った家があったが漆ではないので艶は少ない。古民家というと黒い柱と梁と思っていたが、多くの古民家で春慶職人が活躍していたとわかると、今後色を付けることも薦めても良いのかな?と思う。

2010年西裏館の家。色は染色であり着色でも漆でもない。

2005年柏崎の家。古材と新しい材を混ぜて使っている。色は染色で揃えて整えた。

上は「緑の家」でも濃いめの色にヒノキの床を染色した。使った染色液は久米蔵と呼ばれる液体。先日10年経た床の「緑の家」に伺っても良い感じだった。

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