ようやく夏ですね。 2009/8/16(15年前) 事務所内外、ご近所 寺泊から 2 シェアする 0 ツイート 2 寺泊にやっとこさ夏が来たようです。気温こそ30度までいきませんが、2日続けての晴天は本当に久し振り。 家の前に泳ぎに来た人も、澄んだ海に大いに満足してください。 今年は数えるくらいしか海に入りませんでしたが、その中でも娘とシュノーケリングに小魚の大群に出会ったのは感動的でした。拙宅の前の海が南国の海中かと思いました。 波がなければこの海はきれいに澄みます。目視で7~8mくらいは見えるのではないかと思います。数十年間変わらずありがたい環境。感謝です。そして海を汚さないように気をつけます。
コメント
コメントありがとうございます。
地ビールの話がこの来訪時に、話題になるとは思いませんでした。私の勝手な思い込みで「旅行中その土地でおいしいと思ったのは、その土地にその人たちとその同じ時間を共有するから、うまさが倍増される」と考えていたので、「ビールを送ると喜ばれるよ!」と言われた時、すぐに「違うよ。この土地で(娘達と孫達に囲まれて)飲むからおいしいのだよ」といってしまった事がずっと心に残っていたようです。すぐに否定して妻には申し訳ないと思ってます。
本当においしいビールですが、そこに娘と孫の気配がないときに感じる味とまったく違う気がします。私はそんな体験をしたような記憶があります(環境を変えて再び期待して食べると、??こんな味だったかなと思ったと前の記憶を否定してしまう)。
どんなおいしい物でも、それを共有しあう人がいないと半減します。些細なもので、それを気持ちを込めて作る「気」が感じられるたり、共有できる人がいると世界一の料理になります。
私は岐阜での母上の「シラスおにぎり」の味は忘れることができません。
ここから蛇足ですが、
前に「もしあなたが明日死ぬとしたら何を最後に食べたいですか?」という質問をされましたがピントきませんでした。もしあす死ぬとわかっていたら、食べ物のことは何でもよくなります。それよりいろいろな人にお礼をいいたいことや家族と共に過ごす時間のことしか考えられません。恐怖も克服しなければならないでしょう。食べ物はなくてはならないもっとも大事なものですが、それは生命を維持するためであり、死ぬとわかっているなら必要ありません。死ぬとわかったときの生物の希望は人(人のつながり)による未来への希望だと思います。だから感謝しております。
すばらしいタイミングでコメントありがとうございます。
月初めにはお邪魔しました。
あの夕陽と地ビールは忘れられない美味でした。
寺泊で飲むからこその味でしょう。
海は一度も入れませんでした。
二人の孫に「かまわれて」楽しく波と遊びました。
感謝感動満足でした。 安爺