人工を自然風景と呼ぶからおかしい事に②

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今日は東京で講習会に参加と同時に講師もちょこっとだけしてきます。何時も申し上げておりますが、東京へ行くときには「ドキドキ」します。そう、地震が起きたら・・・が一番で2番は人酔いかな。

ということで今日は新幹線内で静かにこちらを書いております。

自然風景

昨日の ブログではその内容に矛盾するような内容があったのでその2ですこし補足します。

私の考えでは上の写真でこれは「自然風景」です。一方下の写真は人工風景です。

人工風景

何処に違いがあるかというと、

人工物※のしめる割合が過半以上の時それは人工風景と呼んで良いのかなと思っております。田んぼの写真では綺麗に手入れされた田んぼと道は人が造った風景で山と空は人が存在していなくてもこの世に存在する自然風景です。この写真では道と田んぼ割合が過半なので人工風景と呼ぶとします。※・・・人の手が常に入って造られた物、集団。

一方上の海の写真(この方角のみ)はテトラポットがあったり人影があったりしますが、人がこの世に存在していなくてもこの世にあったであろう海と空で過半をしめておりますから「自然風景」と呼んで良いかと判断しております。テトラがあるからこの海岸が生まれたというような考えではないく人が常に手入れをしていたかどうか(数年のこと)。

自分の生活範囲を考えると、目に入る風景の殆どは人が常にお手入れしていなけれあり得ないない風景が過半をしめており、それが手入れされた並木道、田んぼ、畑だったりします。田んぼの稲自体は自然物ですが、それが雑草もなく綺麗に並んでいることがその風景の大事な構成要素なら人工風景になります。例えば公園の木々で下草が生え放題だったらこれは自然風景、お手入れされて下草がなければ人工風景という感じです。

では公園の木自体も人が植えたのだから人工物なのでは?という事は・・・私ならこう考えます。人がこの世に存在していなかったらこの木はあっただろうか?1本の個体の木自体はわかりませんが、木そのものは人が誕生する前から存在していたはずですから木自体は自然物と考える・・・。ここまでは同意が得られると思います。その先・・・木が一列に綺麗に並んでいることがその風景を決定づけるのであれば人工風景。そうでなければ仮に人が植えてもそれらがその風景の構成上大きな意味をしめないのであれば自然風景。その木一本一本のことではないと考えると自分の中で整理できます。それでも難しい場面はたくさんありますが・・・。

その1での私の間違いは(下は引用)、

「これが曖昧だと何を話すにもおかしな事になります。「緑の家」も自然素材で造ると宣伝しますが自然素材で作る環境に良い家・・・ってどこまでの事なのか?

例えば自然はまだ許容範囲がひろく受容出来ますが、環境に一番良い 住いは冷暖房費ゼロのホームレスがくるまっているダンボールハウスかもしれません。範囲、条件のとらえ方により答えも違う・・・難しいです。」

(引用終わり)

と風景以外のことをあげた事で内容に矛盾がある感じになりました。この点は訂正したいと思います。

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