昨日今日と暖かい日が続きます。報道も軒並み取り上げ、街角インタビューでも「暖かくて良いね」とのコメント。雪がなくて困ることはあっても「暖かくて困るね」と言う人は限りなく少ないと思います。
今年度の冬は暖かい日が続き、昨年暮れでは野菜が豊作で値崩れして捨てているとの報道もありました。作物が沢山とれる事を嬉しく思わないのはほんの一部の人だけで、作物の豊作を喜ぶのが人の総意だと思います。
夏の暑い日には「温暖化で暑くて辛い」という言葉は各所で出てきますが、冬の暖かい日には「温暖化のせいで暖かくてよかった」と言う報道やコメントは殆ど聞かれません。しかし巷では挨拶代わりにみんな「今年は暖かくてよかった」と言っております。
なぜ?何でしょうね。冬暖かい事は一部の人を除き(ウインタースポーツ関連)、皆がほほえむことが多くなると感じますが違っているのでしょうか。うーーん、状況をそのまま操作せず伝える事が公共電波を使う地上波の使命だと思います。
さてそんななか、車中で会話がありました。
M「暖かい年だね」
私「Co2のせいかね」
M「そうかも、でもわからない」
私「ガソリンや灯油も安くなった。Co2は気にしないでガンガン使えばよい」
M「それはちがうんじゃない」
私「人がいる限りCo2は出し続けるでしょう。だから気にしない」
M「それはそうだけれど、それだったら牛も相当だしているからね・・・」
私「うん・・・。(牛も人が飼っているし)人が快適を追求すれば必ずCO2が排出される。だからCo2制限は人には無理」
続けて
私「CO2は科学/政治の問題では無く宗教や哲学の問題。レジ袋削減なんて・・・ほぼ意味なし」
M「そのとおりだけれど・・・確か家庭単位では無理だと思う。だからせめて企業にその責務を課すのでは・・・。それがわかっているので効率よくエネルギーを使うシステムを国が企業に無理強いするのでは・・・。」
なるほど・・・世界の頭のいい人が「快適性維持・アップを否定できない一般人にCO2削減なんて無理だから、企業にさせればよい。だから温暖化、温暖化と騒ぐのか?無論その利権に群がる人が支えてね」
ああーM(娘)の方がわかっているのかな・・・。
そういえば10年前にあれだけあったエコ活動団体が最近以前より元気がない・・・。
貨幣経済がどのような仕組みか私はよく知りませんが、ある人が頑張ってエコ活動した分貯蓄になったら、その資金を運用する金融機関は他の人にその金をかして新たな経済活動(Co2排出活動)を行うから意味ないよ・・・という話をきくと、個人の貯蓄増加にはなりますがやっぱり個人がエコで貯蓄してもCo2は増えるので、CO2は哲学、宗教の話になるような気がします。
Aの貨幣→Aが消費=エネルギー消費→Co2生産
Aの貨幣→Aが貯蓄→Bに融資→Bが消費=エネルギー消費→Co2生産
同じ事?