女川町の復興1

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ここは国道398号線。左が太平洋であったが湾内であったため流失被害が殆どないように見えた地域。

仙台で講師の役目を終えた後に、初めて女川町や石巻市を訪ねました。案内して頂いたのは東北フォーラムの事務局のSさんです。そして上の写真はその道中の398号線。この道から女川町に入りました。この道沿いが太平洋に面しているにも拘わらず、流された家が少ないように見えました。

実は・・・

津波にはベクトルがあり、そのベクトル上にあるものは全て崩壊し流れ去って言ったのですが、そのベクトルから外れたり、障害物でさえぎられた場所には悪魔の力は働かずに建物は流されず浸水だけで少し建物は残ったのです。


矢印から押し寄せた波。このベクトルから外れた建物は流されるまでに至らなかったらしい。

上のピンクの矢印の所に「おかせい」さんという水産会社がありその建物一部は水没だけで流されずに残こる事ができて現在食堂として営業しております。一方ベクトルの先端にある港周辺の建物は全て流れ去りました。そこには病院があるのですが丘の上(海抜16m)あったので、1階のみの浸水ですみました。

実はこの上にボタンエビがのっていたのですが、私が生エビアレルギーなので先に取ったのでご飯が見えている・・・

その建物の一部が残ったおかせい水産さんが震災後始められた食堂でお昼を頂きました。

岬の影や、形状ににより被害の大小が決まっており、こんな事はあまり報道されませんが確かに地図を見ると、この町内にあるあと1mでも水位が上がれば大惨事になる事が予想された「女川原発」の位置が絶妙だった事がわかります。

太平洋側からの波のベクトルが被害の大小を決めた。

太平洋から押し寄せる悪魔の力を東森山のある寄磯岬が原発を庇うようにあり、そのため津波が遡上することなく潮位の変化だけだったので、大惨事にならなかったのでしょう。仮にこの立地をそのように決めたとは電力関係者から絶対いえません,

多分・・・。それを言えば、大津波が来ることを予測していたことになり、もう一方の守られる地形では無い破壊された電力会社さんの立場が無くなると私は想像します。

物事は現地に行かないとわからない事又は真実が沢山あります。

女川地域医療センター駐車場から建物を見る。赤く染まった所まで波が押し寄せた(この線まで海抜約20m)。

大被害を受けた女川港は入り江の小さくなる一番奥にあり、この付近の津波の遡上は数十メートルにまでなっており、入り江奥に相当するこの女川地域医療センターには20mまで海が丘を駆け上ってくることになりました。

その2に続く。

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コメント

  1. オーブルの浅間です。 より:

    お隣さん様
     コメントありがとうございます。
    女川・東通・・・東北電力
    浜岡・・・中部電力
    福一・・・東電
    各設計は最終的には電力会社さんで取り決めていると思います。
    その設計者さんが私が現地にたった1日行っただけで把握出来る事を設計に盛り込まない事はあり得ない気がします。
    つまり女川周辺は岬や入り江が沢山ありだからこそ波が遡上する場所は避けたのでしょう。又は遡上を考えると岬影しか選択するしかない・・・。
    一方東通・浜岡や福一は入り江ではないので岬影にする必要が無かったか、選べる入り江が無かったと思えます。
    と書いていて、確かに入り江ではないので遡上の心配が無い平らなところに造ったのかなと考え直しております。
    いずれにしてももうこれ以上原発の災害は無いことを願います。

  2. お隣さん より:

    いつも楽しく拝読しております。
    気になったので、太平洋側に位置する東通と浜岡をGoogleマップで見てみました。
    女川と違い、海岸線は真っ直ぐで、
    障害物になりそうな半島などは全くありませんでした。
    津波が避けられるように、
    半島の陰に作ったのではなく、
    単なる偶然のような気がしてきました。
    考えない方がより罪深いですけどね。。。