女川町の復興3 語り部

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国道沿いの異様な形状で目立つ津波非難タワー

東松島市だった思うが、女川町に向かう途中見たものは津波避難タワー・・・。
これが住宅地にあるのです。これは大変よいことです。必ず目に入る異様な建物が、現代版語り部となるとでしょう。

1でご紹介した下の食堂・・・。実はこのお店は海から40m以内にあるのに半分が流される事無く残ったので、今このようにして食事を提供できるのです。

店内は賑やか。今日は人が少ないが何時もは行列が出来る。

いかにも漁師さんが提供する店という感じがプンプンしてきます。さてなぜこの「おかせい」さんが流されなかったのでしょう。水は容易にこの建物の屋根まで覆っているはずです。

1、2のとおり・・・

津波にもベクトルがあり、そのベクトル上にある建物は全て崩壊し流れ去って言ったのですが、そのベクトルから外れたり、障害物でさえぎられた場所には悪魔の力は働かずに建物は少し残ったのです。


矢印から押し寄せた波。このベクトルから外れた建物は流されるまでに至らなかったらしい。

この女川港を尋ねたときに・・・

道の横に擁壁に囲まれ、樹木で僅かに見えるそれが神社があることを瞬時に見つけました。建物の古い様相から津波で破壊されること無く残ったと思います。そしてこの小高い丘にある神社の昇った人は助かったのと感じますし、そのために津波の届かない高い位置に神社はあるのでしょう。その少し上の住宅も残っておりこの高台が無事な場所だったことがわかります。

赤矢印が神社

神社と同じ道にある同じ高さにある住宅は無事

地図をよく見るとこの女川港を囲むように小さな神社が7つもあり、何れも海抜17m以上の小高い丘の上です。つまりこの地は100年に1回は大津波がくるので、先人達がその波の影響の受けない所に神社を造ったのでしょう。


この神社の海抜は何を意味するのか?

今は行政が宗教である神社の社を造ることが出来ないので冒頭の非難タワーを造っております。これは重要で、大地震(津波)が来たら神社へという言葉は語り部の悲しい過去の話と一緒だから意味があるのです。つまり普段神社は異様な光景にならないので語り部必要だったのですが、非難タワーはそれだけで異様な光景・・・だからこそ語り部がいなくてもよいのでしょうね。

観光客用に海抜何メートル表示もあると良いと思うし、駅舎自身がなぜ避難施設タワーにならなかったのかが大変不思議。この地の教訓は?

誘導看板やタワーといった語り部が無いようにみえる・・・。

所が・・・女川駅が完成し駅前のプロムナードも出来たのにも関わらずまだその地は、間違っていなければ震災前より土地が7mかさ上げされても海抜10mだから、再び大津波が来れば飲み込まれてしまうことは容易に想像出来ます。が、非難タワーも無ければ誘導表示も揃っていない・・・。たった今でも大地震がくるかもしれません。これは拙宅が海の真ん前にあるからこそ何時も心に刻んでいる「地震後はアポロ(犬)だけを抱えて裏山へ」が家族の合い言葉になっているため気づくのでしょう・・・。

再び海と共に住むために低いところに住むことは否定しません。というよりここは山があるので昔から海と共に暮らすことが出来た場所でしょう。だからこそ必ず語り部(表示や非難タワー)が普段心に刻めない観光客には必要です。もし活気ある復興を考えるならビジターにもわかる表示をしてこそ海の町女川と思います。

共に、再び悲しい想いのないように・・・。

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