「て・こあ 黒の間」の壁の補強する為に壁際の床を掃除していたら、その凹みから円形の物が出てきました。
以前もお話ししましたが、
「て・こあ」の黒の間は、戦時中東京から疎開してきた人が集まって煮炊きをしておりました。結構大勢と聞いており、戦前の寺院は今の行政の避難所と同じ役割をしておりました。そのため信心も無論強かったと思われます。これはその時に落とした「時の形」でしょう
70年以上も床に埋もれていたこの貨幣をみると、その時にここで疎開して暮らしていた「匂い」がしてきます。時の刻みをすこし感じる事ができるこの空間は何かが違う空気に包まれております。
お昼は何時もの羽釜ご飯。最近は殆ど失敗もなく安定的なおいしさ・・・。そろそろ新米が出まわる季節・・・早くこの羽釜でたべたい。
何時ものように持ち寄ったおかずで盛り付けて完成。大勢で食べる幸福感。「て・こあ」での時の刻みは今もなお集まる人々が・・・継続しております。生命の継続は生物の目的ですが、文化の継続は心の進化でもあります。
コメント
て・こあ あの「黒の間」は、夜は「こわい間」?、の感じが残ってました。
こうして、家具が入ると、また独特の雰囲気がでて、良いですね。
家は「人間・人」が入ってこそ「家」になるんでしょう・・・。また出かけたいです。安爺。
コメントありがとうございます。
>て・こあ あの「黒の間」は、夜は「こわい間」?、の感じが残ってました。
確かにこわい間です。
霊体等は科学的に証明されておりませんが、そこに多くの人の想いがあることは間違いなく、それらを「こわい」と称すると考えております。
これはどの建物でも同じですが、多くの人の利用(想いですね)があればあるほど強く感じます。