最近欧州では「ディーゼル車は環境に悪い。EV車かガソリン車を買う事を薦める」
との声が大きくなった。
つい数年前までは
「環境によいのはディーゼル車。ガソリン車ではなくディーゼル車に乗りなさい」
とアナウンスしていたはずなのに全く真逆。
20年以上前から始まった欧州でのディーゼル車優遇措置。数年前は、欧州で新車販売される自家用車の半分はディーゼル車だったと記憶している(高級車ベンツでもディーゼル車の設定がある)。それが手のひらを返すようにディーゼル車はダメだ・・・となる。科学が充分進歩したと思われるこの時代にあっても国レベルの情報で手のひらを返す事柄がおおい。特に環境・健康によいと言っている人の多くは・・・。これは日本でも変わり無い。
多分・・・自動車最大手国の米国(ビック3)に対する当時のアドバンテージが「ディーゼル車」だったのだろう。そして今度はEV車の優遇措置が始まる・・・。これは現在の日本車のお家芸となったハイブリッド車対策と見る人もいる。決して環境問題でEV車を薦めているわけではない※。
※石油産出世界7位のノルウェーでは国内の電力のほぼ全てを水力発電で補っている。こういった国での全EV車化は政治的に理解できる。このような様々な世界情勢のなか日本が描く自動車の未来が世界の腹黒い思惑に負けることなく突き進んでほしい。
補足であるが、
エコ、環境によいとか、環境に優しいとか、温暖化防止によいとかを使う団体、個人の多くはそこに大きな建て前と打算がある。もっと簡単に言えば偽善に近いか?・・・。その言葉を使えば魔法のように売りやすい商品になる。人が造り出すmonoのほぼ全ては、所謂環境によいと言われるものはない。もし環境によいという定義が「現在の地球のバランスを維持すること」ならば、人が造り出すmonoということは、人が発生する以前にはなかった物で、そのmonoが再び土や水、空気に帰る循環サイクルの中でより多く時間がかかる。その一番最たるものは核物質である。が、それでもそれを人類が望むなら仕方なく、事故のないように効率よく使うしかない。
この地球内で全てのmonoは何もしなければ劣化・分散に向かうだけ。何かすれば劣化(酸化)・分散と逆の還元・集約する事はできるが、何かするには必ずエネルギーが必要。
リサイクルの多くは還元・集約のことで、金、プラチナ等金属と特殊なmono以外、分散した素材を集め還元するためには造り出す以上にエネルギーが必要なこともある。
一方この地球上の循環社会を支えているのはほぼ太陽光のエネルギーだけである。このエネルギーを掘削、製造に使うのか、それとも集約と還元に使うのか・・・どちらがよいのかは大変難しい判断となる。どちらにせよ言えることは、人の活動は常にとてつもない早さで地球上のエクセルギーを消費し続けるがその配分を変えるだけのこと・・・。