昨春から始まったotomo vie centのリノベ計画を進めるために、その構造を把握しようと小屋裏にあがる点検口を探していたが、全く見つからない。通常は押し入れの天井板が外れたりするのだが、そんな押し入れはない。となると、居室天井板の一カ所が外せることもあるので脚立にあがり高さ3.6mある天井板を押してみるがびくともしない。
探すこと一時間・・・私は住宅建築のことはよく知っているつもりだったがまだまだ甘いようだった。
他の作業中、巾1.1mくらいの廊下の天井がなんとなく不自然のように見えた。ここが開くのかなと軽い気持ちで強く押すとわずかだが未固定の感触。
あっここだーと叫ぶような気持ちにだった。
今度は両手でしっかり押すと、少し動くが持ち上がらない。1m真四角(点検口は通常は45cmしかない)の板全体が動くのだが、何かに固定されているように開かない。しかし間違いなくここが小屋裏へ入る場所だと確信しているので、左右前後に動かしてみると、片側だけあがる事がわかり、そちら側を3cmくらい持ち上げやり返しの要領で板を持ち上がると上がった!更に直角方向にスライドさせて開口1m真四角の想像できない大きさの入り口が表われた。中は真っ暗であり光はほとんど見えないが巨大な空間がある事だけはわかった。
直径60cm越えのスズメバチの巣が小屋裏に3つあった。
煤で燻され真っ黒になった梁や壁がみえ・・・遠くになにやら見慣れた丸い物体がある。ああー黄色スズメバチの巣が小屋裏にあるではないか。
本来高熱空間をきらうスズメバチであるが、これが作られた当時は小屋裏の風通しが抜群だった(壁が一部崩壊)のかも・・・。
小屋裏は過去に倉庫のように使われた形跡もあり、古い建具が20セットほど積まれ、奥の方には木製の脱穀機のようなものが分解された状態でおかれていた。
小屋裏から下ろされた何かの残骸部品。 こちらも見たことがあるような・・・
黒く完全に煤けているところから戦前に既に小屋裏に置かれ放置されていた物と想像できる。
ここで不思議な発見をする。
大きな時計のある間の天井は無垢板の竿縁天井で、今では中々お目にかかれない本物の杉板天井仕上げだが、小屋裏にはその上に更に天井が貼られている事がわかった。
現在の時計の間の天井板。煤けていない杉の無垢板で黒目地の目透かし。小節でもしっかりカンナがかかっているため当時のカンナ仕上げ職人は苦労しただろうと思わせる。
以前から申し上げているが、大正時代から昭和にかけて、このような農家の建物で天井を貼ることが出来たのは少し裕福な家となる。多分この家もそれに当たるのだろう。煤けきった天井の杉板は時代を表しており昔の天井板の上には土らしき物が5cmほど積もっていた。これは屋根瓦を吹き替えた時の葺き土がしたに落ちたのではないかいと思われる。「て・こあ」と違い、こちらは質素と言うより少し金銭的に余裕があった建て方であり、その違いが大変興味深い。これでどのように小屋組を活かすか確認ができた。
今年の新潟県の桜は、私が記憶する限り最も早い満開を迎えたような気がする。タラの芽も幾分早く、既に採り頃を通り越している木も多い。
真っ黒になった小屋裏に上がった格好では室内に入ることが出来ず、昼食は外で食べることになった。
タラの芽の料理と言えば天ぷらが浮かぶが、大量に採れたときには天ぷらだと食べきれないので、茹でてパスタに入れる。これが実にうまい・・・。
新潟県では春の訪れは特別な気持ちになる。この高揚感は雪国だから味わえることを感謝しつつ春の味覚を味わった。