オーブル浅間の気持ち② 曖昧はいらない

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3月11日から早1年。そこで再び浅間の想い②を綴ってみた(①はここ)。

家のことではないので興味のない方はスルーで・・・。

今朝夢をみた。拙宅がある寺泊町に100mの津波が地震でもないのに襲ってきた。近所に外出中だった私と妻は町内放送でしり「やっぱりきたか・・・」とで高台に避難する。娘は自宅におり、地震でもないのに津波が襲って来たのに気づいたかどうか一抹の不安があったが、多分大丈夫だろうと信じて避難した高台から高層ビルのようにそり立った津波を見下ろしていたところで目が覚めた・・・。3.11から1年経った朝に見た夢・・・。心に刻まれた大震災の記憶。

今日は朝から長岡で脱原発市民ネットワークが主催する「映画 チェルノブイリ」を見た。それから車を飛ばして110km走り地鎮祭。途中でマックドライブスルーで昼食と慌ただしい・・・。

その映画の中で、事故にあって政府に情報隠蔽されたため8日後にしか避難できなかったロシア人は、福島第一原発事故についてよく知っていた。そこでなぜよく知っているのかをリポーターが聞いた。すると・・・

「他人の痛みを自分の痛みに感じる気持ちがあって始めて人となる。私たちは同じ苦しみにあった、またこれから起きる苦しみにであうであろう福島の人に想いをよせるし同情する。だから無関心ではいられない」

思わず目が潤む・・・。多数の日本人より福島の事を感じられる人が世界にいるのだ。ありがたい事である。

 

10万年後の安全という映画・・・知っている?

知らない、見ない人でもこれだけは知っていてもらいたいのであるが・・・
石油やガスなどの化石燃料と原子力・核燃料とは全く異質であるという事を。

石油やガスは、有機生命体が数億年かかってはいるが、我々が生物が作り出した物質。燃焼してもCO2が出るだけ。元々我々の体にも多くのC(炭素)が固定化され、仮に人類が死んでも腐らせないように地下深く保管すれば、大気中からCO2は減る(笑)。

・・・に対し核は有機生命体に関係なく宇宙にも存在する物質。有機生命体が造り出した物質(石油やガス)は、地球上にしかなく元々我々と同じ「生物」だったので、いずれはどんな耐性でも獲得できるだろう。しかし核は全く別物。
核(放射性物質)が地上から消えた頃に、有機生命体が栄え始めた。つまり核と生物は相容れないもの。地球温暖化防止と比較する問題ではないし、電気代が上がるというそんな次元の違う問題ではない。

有機生命体がこの放射線に耐性ができなければ、これから10万年間も途絶えるかどうかの問題である。でも耐性を得るのは原理的に難しいだろう。経験上でも太陽風という放射線の嵐の中で生き残って地球まで到達するバックテリア以外の有機体がいたという発見がないからである。そもそも知的地球外生物の確認がまだないが・・・。

さて、この映画によるとその核=放射性廃棄物が地上に既に20万トンあるという。

ここでまた10万トン増えても同じだろうと考える人もいるだろう。一方増えれば増えるほど安全に保管できる確率は減るという人もいる。

私はこれだけ情報があるこの現世で、核を再び使い、その廃棄物は「オラしらねー」では責任放棄のきわまりない言動だと思う。

最近多い表現が・・・

いずれ原発はなくなるだろう。どうせもう新設はできないから」等と自分はどっちでもないような発言・・・つまり自分に責任はないと言うこと。

このような人ごとで、且つ自分で判断しない「学者、研究者、科学者、政治家」

はこれから「井戸端会議者」と名乗ってほしい。私たち技術者からみれば、こんな最重要な事でさえ、自分の考えを表明しない人は、ただの井戸端会議者である。

だから私は、脱原発論者、原発推進論者ともに明言している人は勇気ある人だと思うこの人類初の大事故後なのに、意志を明言せず「曖昧」や「無難」がなぜかもてはやされる。これは大変おかしいと感じる。

10万年も影響するような事で、その重要な1つの判断でさえ自分の意志が言えないなら、学者等と全くおこがましい。しかしそんな人が学者として重要な地位にいたりするから、大変おかしい世の中になったものだ。これは日本で議論をする事を子供の頃から学んでいない事が原因ではないかと思う。議論すると「あいつは敵だ」とかになり、その人を攻撃してしまう。議論の対象とはその人の考えだけであり、その考え以外は関係ないはずである。でもなぜかその「人」がおかしいとなる。これは小学校でのいじめと同じ。

また原子力安全委員会の委員長など「未曾有の震災時において、首相官邸でおこなった発言、助言を忘れてしまった」と堂々と記者会見でいうから腹を抱えて笑ってしまう(こんな人が原発安全検証のトップで且つまだ現役)。こんな人に安全と言われて信じる人はいない。さらに放射線の被害でも、自分の研究ではなく他の人の研究をクドクド並べ立て、だから大丈夫といっている学者もいるが、そんな人は仮に未来に言った事が間違っていても、その並べ立てた論文が悪く、私に責任はないというのだろう。あの環境ホルモン=ダイオキシンと同じように。些細な事なら良いが多数の生命に拘わる事である。

無論、今回の震災時の政府内の議事録がないなんて事、まるで夢の話である。官僚、政治家、政府高官はいつも人のせいにする。

最後に先日地上波ニュースで

「震災直後の津波に流されたお母さんが、夫が娘を車で避難させるのを見届け「万歳、万歳、生きるんだよ-」と叫んで津波に流される・・・その夫はその姿をバックミラー越しで見た。アクセルを踏む力を変えずに・・・。」

人には寿命がある、だから子供達に託す・・・DNAに刻まれた本能・・・特に母の愛なのだろう。 人に、親に、子供に、周りの人に感謝、感謝、ありがとう・・・。3.11は生きていてくれてありがとう!の日になるとよいね。

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