人工を自然風景と呼ぶからおかしい事に

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9月の和島の田んぼ。

黄金色に輝く田園・・・

美しい「人工風景です」。

と言うと皆さん

「えっ」

となるでしょう・・・でしょう?

これって間違いなく人工風景です。最近人が作った風景や物を自然と思い込む事が多いと感じておりますのであえてこんな話題。

農家さんが頑張って平地を耕し、水を張り、苗を植え、雑草を取り、肥料をまき、害虫を駆除する・・・これだけやっていて自然ではないでしょう。無論広義の「自然」となる場合もありますが・・・。田んぼを含む土の上はちょっとなにもしないと直ぐに雑草が生え「荒野」になります。荒野風景は「自然風景」と呼んでも良いですが田園は「完全な人工風景」です。

これが曖昧だと何を話すにもおかしな事になります。「緑の家」も自然素材で造ると宣伝しますが自然素材で作る環境に良い家・・・ってどこまでの事なのか?

 

例えば自然はまだ許容範囲がひろく受容出来ますが、環境に一番良い住いは冷暖房費ゼロのホームレスがくるまっているダンボールハウスかもしれません。範囲、条件のとらえ方により答えも違う・・・難しいです。

コスモス・・・素敵。

上のコスモスも完全な「人工風景」です。
お手入れをしなければ一年でこのコスモスは他の雑草に負けて無くなります。私達が日頃目にする山、野、樹木、花の殆どが人工風景です。つまり自然の驚異に打ち勝つ事ができ、人が支配することが出来た人工風景をみて「心落ち着く」感情が起こるのでしょうか。ただ・・・人工風景と別に自然現象(虹、雨、雪、日射)があり混同に注意です。

ホントの自然の風景は、車が入れない山へ歩いて入って最低1時間くらい歩かないと見ることができません。つまり感動もしますが普通は恐怖も同時に起こります。私達は整備された自然をみて「自然」と呼んでいるのが実態ですが、その「整備された」=「自然」っていう相反する表現・・・ありでしょうか。

私は安全な場所で危険な物を感じたり見たりする事は好きです。それは超高断熱の家の中で厳寒期に薄着で吹雪を見ることに等しい感情です。ただし時にはちょっとだけその危険な物に触れたい気がする・・・。 そんな欲張りな感情を満たしてくれるのが「て・こあ」で紹介した「穏やかな季節の間戸」でしょう。穏やかなら自然現象に恐怖を感じませんし、逆に感謝しますから。そんなことを教えてくれるのがこの間戸なのかな。

昨日もアップした写真。日本の建築の美しさは屋根にある・・・と言われておりその中でも寺院の屋根は特別。
これが真っ正面から見られる民家は殆どない。とても勿体ないこと。合掌せずにはいられない。

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コメント

  1. オーブルの浅間です。 より:

    緑の家の1ファン様
     コメントありがとうございます。
    このブログは今回のコメントも含めよい読者さんに支えられていると実感しております。又浅間が暴走した事を諭すようなコメントに・・・感謝します。ありがとうございます。
    緑の家の1ファンさんの感じたとおり、
    「私達の身の回り、生活はすべて自然との共存ではなく切り分けで成り立っている」ということを「今一度理解しよう」と言うつもりで書きました。
    今回の「人工風景」の件はその2で少し追加説明を加えたいと思います。
    今後は内容が暴走しないように気を付けて、皆さんから同意が得られるようなブログでありたいと願って書きたいと思います。

  2. 緑の家の1ファン より:

    いつも緑の家のブログを「そのとおり!」とか、「なるほど」と感じて楽しみに読ませていただいております。
    ただ、今回の記事はあまり腑に落ちませんでした。
    確かに田園などの里の風景は人の手で管理された風景であり、狭義の自然にはあてはまらないものです。
    一方で、緑の家でも使用されているスギやヒノキだって、人の手で管理された人工林の産物です。人の手が無ければ建材として使える大きさに育つことはほぼありません。
    これを自然素材と呼び使用する一方で、田園を自然ではないと言うのに若干の違和感を感じます。
    (私のコメントが愚見であることは間違いありませんが)今回の記事だけは、「みんなわかってる?」みたいな嫌味を少し感じてしまいました。
    最後になりましたが、今後も緑の家のブログを楽しみにしております。