築130年のotomo vie cent リノベ その44 お宝と土庇土縁化

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古い桐箱が最も古い桐たんすの一番奥に隠されていた。桐たんすを壊す勢いでないとそれに気がつかない。

2回前のotomo vie centの記事で古い桐箪笥から箱が出てきたと申し上げたが、写真を掲載していなかったのでアップする。

出てきたのは銭形平治で有名な「寛永通宝」で、いわゆる江戸時代の通貨である。

イグサで束ねられた状態だった。和紙も同梱。
200年ほど続いた寛永通宝は時代によって価値が違うとの事。
今度機会があれば紐をほどいて中を選別したい。こちらは裏に文が書かれている。

古銭に興味がなく全部同じ時代の通貨かも確認していなのでこれがどのくらいで売れるのかわからないが、枚数はそれなりにある。また日本政府が発行した50銭硬貨も一枚。しかしこれは国内金属が枯渇している時代であり、銀の含有量が0のため価値はほとんどない。

50銭硬貨。銀が入っておらず金属的には価値はない。

さて・・・

その「寛永通宝」が出てきた築135年ほどの母屋を手直ししているが、できる限り初期の形に戻そうとしており、現在は縁側として床が貼られていたこの部分の床を取り壊し土庇、土縁化に戻そうと試みている。

otomo vie centのアルミサッシで覆われた広縁(縁側)。元々は多分土縁だったと思われる。
土庇土縁化に模様替え中のotomo vie centの母屋。土縁はこのように土のままが基本だがコンクリート床にする予定。

上の写真のとおり、広縁にあったサッシを外し、それをそのまま奥の和室の前に設置しなおし広縁を土庇土縁化した。右側の障子戸は以前のものをそのままはめ込んでいるが、これだけ土庇があれば通常の雨ではアルミサッシにする必要はないかも。台風時や暴風時には雨戸のような戸板を土庇の外側に立てられるようにすればよいのか・・・。

しかしこれだけで俄然古い民家のイメージとなる。やはりアルミサッシがない時代に、どのように開口部を守るかがこの土庇の最初に計画された理由であろうが、その思考がやはり古民家の外観なのであろう。

この土庇工事は単なる開口部の付け替えとなるが、古民家のほとんどはまっすぐな柱や完全に水平な敷居(床)がなく、何らかのパッキンや修正が必要になるので、取り外したサッシが他のところに取り付けることは難しい。パッキンなどいれ何とか和室の障子部分の下地を合わせた。

さてここでもう一度振り返る。
土庇、土縁とは、ガラス戸が一般的でなかった時代は板戸や紙障子戸で家の内外を仕切っていたが、屋根を大きく張り出してその戸を雨や風から守る役目と、雨の日でも仕事がそこでできるように配慮された屋外の屋内化された空間。下のように立派な土庇土縁も古民家で見られる。

土庇土縁の古民家。江戸時代に建てられた旧笹川邸の客間。

土縁としては雪国では雪と寒さから少しでも守るためにこの土庇に戸がはめられたことになっている。しかし持論ではそれは第二の理由で第一は夏の涼しさをこの大地が露出した土縁に求めたためと思っている。当然土縁化したのは気温が低い江戸時代ではなく、気温が上がった明治から大正にかけて土庇土縁の内包化が広まったと推測している。

土縁を内包化して夏の暑さ対策をしたと思われる明治に建築された新館(旧笹川邸)。

この「土庇は夏のため」についてはこちらのブログで案内しているので興味があればご一読ねがいたい。面白い考察となっていると自負している。

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