築130年のotomo vie cent リノベ その64 10年ぶりの羽釜ご飯

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
豪快に水蒸気上げ「おいしくなるぞー」と表現しているかのように見える。

定休日の昨日、otomo vie centの奉仕として実質10年ぶりに羽釜でご飯を炊き上げた。この母屋で初めてのごはん炊き。

羽釜でご飯を炊くのは2012年から2015年にかけて「て・こあ」で行い彼是数十回以上は既に行っていて慣れていたつもり。でも最後に炊いたのは下の2018年なのだがこれ一回であり間隔があいているので、2015年から10年ぶりといってよいだろう。

「て・こあ」でのある一日 弐百四拾弐 <br />久しぶりに飯を炊く
「て・こあ」では来週の月曜日に10人以上が集まるらしく、管理人から羽釜でご飯を炊いてと言われた。しかしここ1年以...
この竃は13年前に購入した「て・こあ」用。今はこのタイプが廃番で売っていない貴重な仕様。

豪快に吹き上げる湯気が、釜の中でコメが踊っていることを想像させるが、どこで羽釜を外すか?そのタイミングの感覚が鈍ったようだ。

そもそも水の量さえ忘れてネットで検索するも、見る記事、情報によって様々でやはりこのお米を焚く行為は「職人」と同じでマニュアルがないのがホントの所。経験しか頼ることができない作業である。

今回は過去の経験から羽釜最小単位の7合の白米を1時間水に浸し、20分間水を切って、お米の量に対し(容積)、1.1倍の水の容積で行った。多分ここが間違いで1.2~1.25倍の水の容積でよかったのではないかと思っている。

竃を使う時は薪ストーブと全く違う木を使う。大体がこのような小片にした針葉樹である。このほうが炊き上がの火力が自由に調整しやすい。一方薪ストーブでは広葉樹の太く大きい木が主力。昔話で「おじいさんは山にシバかりに、おばあさんは川に洗濯に・・・」とのくだりでシバ(柴)かりとは小枝拾いの事で、煮炊き専用の木となる。

15分もしないうちに炊き上がるのが羽釜の凄さ。

7合でもこんなに少ない。カニの穴の出方も少く水が足りなかったか?

通常は音で判断するが、これが聞き取りにくくてついひよって長く釜に載せてしまい、少し焦げができる。羽釜ご飯では焦げつきは良いことでなく、とにかく焦げがないことを念頭にその番をする。

新米は艶々であるが、炊き方がいまいちだった。

まずまずだったが、焦げが少しできてしまい少し凹んだ。

これ以上はとれないお米。

焦げると固いところが混ざり触感に影響がでるし、何しろこのように無駄になるお米が多くなる。昔はこれに水をいれ御粥で食したはずだが、その習慣は今はもうない。

それでも10年ぶりならまあ良い方だろう。

小ぶりに切った夏季にたわわになる柿。一日数個のペースで収穫ができるためちょうどよく食せる。

otomo vie centには3本柿の木があり、今年は玄関ポーチの柿がよくできた。疑似甘柿で、落ちてくる寸前の柿は甘くてとてもおいしい。渋柿を甘くした甘みとは少しちがい、穏やかでかつ嫌みのない甘さが特徴。私は甘柿の固い実が好きだが、この柔らかい甘い実も水切りヨーグルトに入れると大変おいしい。水切りヨーグルトがない場合は、クリームチーズならもう市販ケーキ以上のおいしさ。新潟県において12月の晴天は珍しく、柿と青い空を見上げると幸福な気持ちになるが、雪はもうすぐである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする