ああー今回のテーマも新築を考えている建て主さんにはあまり興味のない話で申し訳ないが、私にとってワクワクする話だから書かせてもらう。
提言13で「日中の通風(風通し)では室温は下がらない」では、古き良き家では真夏日になるような時期は日中の戸を開けない方が良いと申し上げた。その時に実測した「て・こあ」でも、旧笹川邸でも玄関に土又は土間になった部分があった。これを土縁と呼ぶ。
真夏日に戸を開けない方が家の中は快適だと私でさえ「て・こあ」で数年居住してわかったのに、エアコンも無い時代の古人がそんな事をわからないはずはない・・・。きっと知っていたから住居内に土の有る部分を取り込んだのである。
しかし殆どの住宅関係者は古い家に数年暮らすことがない。だからその体験しておらずわからないのである。つまり教科書どおりの真夏に窓を開け通風をしてしまうのだ。
話を土縁に戻す。
多くの情報ではこの土縁は雪が降る地域の雪防止だったり寒さ防止、通路の確保として紹介されているが、実は・・・土縁は暑さ防止のためだったのではと私は宣言する。これって・・・新しい解釈で、今までの定説だったことに大きくプラス?又は覆すことでもある。
やはり大事なのは時代背景。この建築は江戸時代後期ですから、今より少し寒い時代・・・とは言っても私が子供のころより少し寒いくらい(下のグラフでは)・・・。
ある文献では、確かに厳寒又は冷夏なることもあったが、夏は猛暑にもなったとあり、その証拠に大きな飢饉(晴天が続き雨不足だった飢饉)はこの江戸時代に数回起こっていること、また小氷期という寒い時期であっても夏が酷暑となるので、米は意外と豊作も多かった事が上げられる。小氷期では江戸(東京)でも冬期はいまより雪の回数が多かったとの記録もある。
ああー
もし私に余裕があるならこの研究をしてみたい。
というのは・・・
建築学は分野が分かれており、このような旧笹川邸のような古民家は意匠系の人、又は建築史学系の人の研究分野。複雑にしているのが重要文化財に指定されると今度は文科省の管轄で文化系の人の研究対象となる。確かに環境系の実測や研究も多少有るが、意匠系と史学系と文化系との融合はあるが環境系及び構造系との融合が盛んではないため、全てをトータル的に融合させた俯瞰的観察が不得手。
だからこそ偏った解釈もされやすい。
今回は
「時間軸を考えているか?」
が絡むと思われる。
・・・
多くの建築物がその時代の気候・文化に添う形に技術継承され変化するまでは多分・・・最低でも50年~150年以上かかるはず。
ところがこの気候タイムラグを考えた文献に出会うことは大変少ない。
例えば現代でも・・・
ここ数年でようやく高気密高断熱住宅が当たり前になって来たが、これは私達日本人が「暖房」を使うような文化になったから。この暖房を使うようになったのは本州以南では大東亜戦争後10年くらい経って、石油が安価に安定的に入るようようになったこと、および昭和時代がいまより寒かったことに由来する。昭和の38、39豪雪の寒さは尋常ではなく、この時期に灯油が安価に手にはいり、新潟県において多くの家で暖房を始めることになる。
つまり・・・今から60年前に日本人(日本海側)は暖房し始めた。しかも薪ではなく灯油が主体で煙突がない室内空気が綺麗なままの暖房が始まったのである。そしてようやく今、暖房にふさわしい家造りである高気密高断熱住宅が、殆どの家造りで意識され始めた。著名な意匠系建築家も今や高断熱と高気密にはアレルギーがなくなってきている。情報伝達が江戸のころより数倍もありスピードは10倍以上あるこの時代にこれだけの時間がかかる。
これはその3でも少しふれたい。
次の「その2」では土縁が夏のためではという根拠を旧笹川邸を中心に考える。