運の良さの裏付けが「無難」なのだろう。

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中越沖地震の震源地近くの震度6強の柏崎市にある「緑の家」。手前擁壁は隣家。(2007年撮影)

「緑の家」は運が良い。そして「無難な」家造りを薦めている。

2004年の中越地震では液状化の起きた地域に1棟、また2007年の中越沖地震では震度6強のほぼ震源地である柏崎市で周囲の建物が軒並み「危険」の貼られる近隣の中、木造部分の被害は皆無で基礎中央部の少しのヒビがあった程度だった。

「緑の家」の擁壁はピンク矢印で白い矢印が傾き撤去された隣の擁壁(2007年撮影)。
隣の擁壁はこのくらい傾いていた(2007年撮影)。

「緑の家」は中越地震も中越沖地震も震度6、震度6強の地域で建物も被害は微小、その被害と言えば外構がメインであった。そして3度目は今回の地震で液状化の酷かった地域にあった新潟県西区「緑の家」。こちらも外構の配管のみの被害。これほど3度も大きな地震地域に建築された「緑の家」であったが、その被害はほぼ外構だけであり運が良いとしか言いようがないしかし運は自分で呼びよせるものだと思っている。中越地震の時の「緑の家」は耐雪2.5mで設計されており、所謂耐震等級3以上の建物で、且つ耐雪住宅で且つ布基礎であったため、柱状改良の一本あたり有効地耐力を50KNとしていた。これが結構深い位置まで改良杭をする事になりそれが幸いした。↓写真の中越沖地震の柏崎の「緑の家」は耐震等級こそ2相当だったが、一度仮組みをするなど慎重に構造計画行うことで被害がなかった。しかも古民家の移築材多用だったため、20帖ほどの吹き抜けがあるアクロバティックな建物でも木造部分の無被害は自慢できる。

20帖以上ある吹き抜けをもつ柏崎の家(2005年竣工)。

さらに崖沿いになるので、その高さ4mもある擁壁は地中内に1.5m以上入れ且つ基礎と一体化するとという念の入れようで、擁壁もびくともしなかった。つまり無意識のうちに安全第一である「無難」な家造りをしていた。これはきっと私が臆病な性格なのであろう。

ピンク矢印が「緑の家」の擁壁でビクともしなかった。ブルーシートは下の大地が流れ出さないように一応保護している(2007年撮影)。

今回の液状化では、いくら柱状改良がしてあったとしても、建物の重量バランスが崩れていたらやはり不同沈下しかたもしれないが、近年の「緑の家」はほとんどが矩形で総2階建てが多い。これをみて多くの人からは、

「なんか面白みのない建物の形状」

今回の地震で液状化が酷い地域に建築されていた「緑の家」の形状はとても単純な形。これが功を奏したか、不同沈下はしていない事が無難なこと。

だと言われることも多いが、この無難な建物形状が重量バランスが均等で不同沈下していない理由だと思っている。

27年以上も家を構造から設備まで一貫して自社設計していると

「無難」・・・難がないこと

が一番建て主さんのためになっていると、今回の過去2度と今回の地震も経験して改めて強く思う。

そして新潟市秋葉区にまた無難な平屋が完成する。

和紙の障子に落ち着いたインテリアが少し年齢層が高い方でも似合う。
控えめの間接照明も落ち着いた雰囲気。

内部も奇をてらわないで「無難」な素材と「無難」なインテリアでまとめている。そのため県産杉の構造材と造作材、デシカ、電動ブラインドシャッター、33坪の平屋と高くなる要素満載であるが、それでもコストを抑えるところはしっかり抑えたことは「無難」であると思う。

扉の大きさは通常の倍ある巾1600mmの片引き込み戸となる。
平屋故に巨大な床下空間。布基礎でこの完全フラットな床を実現
別次元の快適湿度環境を簡単に作るダイキンの「デシカ」を設置。

超高断熱が標準化する前(2006年以前)過去の「緑の家」は、少し無難でないデザインを多用していたが、2008年からコストが超高断熱性に行ってしまった分、安全性は変えることができないので、形やデザイン、材料が無難(コストダウン)になった。しかし実際その建物ほうが、本当に「難」が無いことがこれまでわかった事実である。

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