先週、「自然共生建築を求めて」という本を購入し、読み始めましたとご案内しました。ようやく読み終えて感想を・・・。
「すばらしい!その通り・・・ただ難しくしすぎて私では読み飛ばしてしまう」の一言です。きっとその分野では凄い事が書いてあると思いますし、私がよく助言を頂く環境系先生も「その分野では第一人者」とおっしゃっていました。興味がある方はどうぞお読みください。
この本ではエントロピーとエクセルギーという概念で様々な現象を解いています。これが意外と頭に入らなくて、この概念に置き換えなくとも普段の生活の表現(経験則)のままの方が良いと私みたいな老化が始まった人はそう思いました(温房概念は理解が容易)。
ある物質を人が使用すれば(エネルギーを使えば)、廃棄物(熱も含)は必ず発生する事は日々の生活で身にしみてます。またこの廃棄物は、人間以外の他の生物がまた使用して、それを繰り返すことで再び人間が使用できる状態になります。これは大地と共に暮らしていれば当たり前に実体験でわかることです。これをあえて建築関連ではエントロピーとかエクセルギー等という机上の言葉にするとわかりにくくなり、とてもついていけませんでした。
また開かれた系においてエクセルギーの使用には必ず熱などを捨てなければ使えないという発想は少し理解が・・・できませんでした。循環に順番はなく、あるのはバランスのみでは無いかと思ってましたから・・・。逆を言えばバランスがとれていなければ循環はあり得ないと言うことだと思っていました。近年の地球の気温が上がる現象はバランスをとるために温度修正をしているだけで気温が上がれば、宇宙へ逃げる熱は増え、また太陽の熱を空気中の多量になった水蒸気で遮る等しながら数十億年過ぎたのだと思ってます。
エネルギーの概念では必ずこういう定義(エントロピー等)が無ければいけないのですが、私みたいに実践だけの設計者は非常に頭に入りにくかったです。つらい・・・まさしく老化です。
もし「自然と共生する建築」と問われたら私の率直な意見は、
「自然共生建築」や「環境共生住宅」などは出来ない。多分その言葉を使うなら
「自然共生の文明の建物」や「環境共生文化の住まい」になるだろうと思うからです。文化や文明の中の住まい方の一つに建物があるだけかな?
私は今の社会で一住まい(いちすまい)の単位で自然と共生するなんてとてもいえないと思っています。仮に一都市の単位でも同じで日本のほとんどが同じ意識(つまり文化)にならなければほとんど意味の無いことで自己満足(趣味)にしかなりません。本気で考えならまずは東京一極集中の施策を最初にやめなければ到底無理でしょう。
田舎である「寺泊」に住み、趣味で自然農等に関わっていても、自給自足、自然のサイクルに寄り添う事などできないと日々知らされているからです。多分大都市に住むんでいると感覚が麻痺し、日本でも田舎に行けば、自然と共生できる建物が出来ると勘違いするのでは無いかと思いますが、日本において現代の文化では無理といえるでしょう。
仮に一個人レベルでも山に籠もった仙人のように生活すれば自然と共生しているのでは?等と問う方もいらっしゃると思いますが、その人が暮らして行くためにどのくらいの縄張り(テリトリー)が必要でしょうか?せめて1km四方の土地は最低いるでしょうね。すると日本の国土が377,835km2ですからたった37万人しか仙人になれません。それを裏付けるように縄文時代はこのくらいの人口でした。これ以上の人数では食料やエネルギーで争いが絶えないでしょう。山でとれる食べられる物は思っているほど多くありませんし、木だって一度切れば30年後でないと使えません。
余談ですが実は稲作が最初に人を自然環境との共生文化から決別させたのです。稲作により、飛躍的に人口が増え、分業が進み文化(生活方法)が変わって急に人口密度が増え始めたのです。さらに18世紀の産業革命で今まで地球が経験したことのない未曾有の急激な人口増となります。
さて、ここまで来ると話があまりにも飛躍してしまいますので、少し戻して・・・
田舎に住み、自分のテリトリー内である程度循環させる事を考えると、その時の基本は
「大切にする、使う」
につきます。自然農の行われている畑では、勿論水道なんてものはありません。山に降る雨水がメインですから、これを貯める事から始まります。雨水でも一度土に染みこんだわき水を使いますが、あふれる程あるわけでもありません。乾期には枯れますし・・・だからその使用には順番があります。飲めるような浄化装置はありません。飲み水だけは自宅から容器で持って行きます。
まず一番きれいな水は食器荒い等に使います。次に野菜の下洗い、最後に畑へ・・・。大切に大切に使います。大切にすれば、何とか貯め水だけでやりくり出来ます。
このわき水はこの自然農のガーデンの持ち主が水のかすかな音を頼りに掘り当てた(40cmくらい地中の水脈)
煮炊きも山の枯れ木を使いますが、釜などを造って効率を考えます。野炊きではあっという間に多くの木を燃やしてしまいますから、釜を作り枯れ木でさえ大事に燃料にします。でないと木は直ぐに無くなります。例えば以前から申し上げておりますが、断熱性能ない家での薪ストーブは地球温暖化防止に貢献してません。大事に資源を使う工夫を今の技術を使って最大限努力するのです。釜の中であれば小枝だけでも煮炊き可能。
こういうことが自然と共になるべく過ごす基本です。自家発電装置だって畑にはありますが、全く人工的な物を排除するすのではなく、大切に使わないとあっという間に資源は無くなる事を学ぶのです。そして「足を知る」事です。それが今の日本人が自然と共生する第一歩です。広大な土地と資源を持つ米国のまねをしすぎたところを直す事から始めることが重要だと考えてます。
しかし縄文時代のような生活を目指す事では無く、せっかく祖先が造った文明の利器を使い、今の技術にあった自然と共生する文化を目指すのですね。たとえば寒いときには暖房を・・・、移動運搬には車を・・・またソーラーパネルから電力を・・・。
そして暖房が手放すことが出来ない文化なら、その暖房のエクセルギーを浪費しないように大事に使わなければなりません。太平洋側では、日射が多く利用できるのである程度の高断熱と蓄熱などと組み合わせれば良いのでしょうが、お日様がでない日本海側の住宅では「超高断熱仕様」が必須となるのです。