茨城県の鹿嶋市で計画中だった「鹿嶋市の家」が昨日地鎮祭を迎えた。
設計図書が出来てから工務店さんが決まるまで少し時間がかかってしまったが、無事に着工を迎えることが出来てほっとしている。
当初の計画より建築費が上がってしまったが、この3年間の建築価格は安定せず、右肩上がりとなっており、また店頭ガソリン価格を考えると物価がやはり新潟より高めである。ガソリン価格では人件費の差はあまり反映されないが大凡の日常物価の目安にはなる。
さて、地鎮祭であるがこの付近一体の氏神様であり、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創建の由緒ある「鹿島神宮」様から執り行っていただいたこと、また神主様の響く発声が付近一帯を清め、心も引き締まる感じがした。更に四方祓で用いる切麻散米(きりぬささんまい)が風と遊ぶように30秒ほども土地の上で舞ったあと吹かれて消え去る様子を初めて目にした。
一方百数十回経験しているが、初めて玉串奉奠において建て主さんより先に行なう流れであり、少々驚いた。また地鎮の儀では鍬しかなかったので建て主さんが代表して行なうと思っていたが、鍬を鎌と鋤きとして見立てやはり鍬で私が苅始めの儀を行なったので戸惑ってしまった。
このような地域によって様々に変わる歴史・文化などが勉強になる。
地鎮祭後には太平洋側のシーサイドロードが日本海側の寺泊とどのように違うかみたいと思って帰りに国道51号線を使ったが・・・なんとそこはシーサイドロードではなくロードニアザシーであった。新潟県も茨城県も海岸線を長く持つが、新潟県の海沿いの殆どの道(国道か県道)はシーサイドロードと呼ぶにふさわしく、道と海の距離は殆ど無い。一方茨城県の殆どの海沿いの道(国道か県道)はロードニアザシーで海から一定の距離がある。このあたりにその土地の歴史特性が表れている。
当ブログでよく紹介していた拙宅から海がすぐそこに見えると言う事は、太平洋側の地域では決して良いことでなく、なぜそんな津波が来そうなところに家を建てるの?という感覚である。そう考えると人の家に対する想いをしっかり受け止めるためには、その歴史環境を良く知ることも重要である。
鹿嶋市の家は今日地盤調査を行なって地盤改良の種別を決定する。