人は40才を超えると記憶が逆方向に向かうとある偉大な建築家で思想家が言っていた。私も同感である。
治療を終えプリウスの助手席に置かれた八角時計
今日私が生まれた頃には既に家にあった柱時計を二つ修理してもらった。
一つは凡そ70年以上前の精工舎の八角時計である。こちらは私が子供の頃、家のお店にあった柱時計である。一時間ごとになるくすんだ音の響きが、当時の記憶を蘇らせる。
人は40才を超えると記憶が折り返すらしい。それをここ最近感じる・・・。
特に「和島北野の家」でそう思ったのであるが、その家では子供の頃の記憶が蘇る。それも懐かしくもあり、幸せだった夢のような日々・・・。人の記憶はいい加減でもあり、多少苦しかった事、辛かったことがあっても、楽しかったり、喜びがあったした方の記憶が勝る。今は楽しかった日々を思い出す(決して今が辛いのではなく、今がとても充実しているので当時の記憶をたどる事ができ心にゆとりがあるのだろう。素直に両親に感謝である)。
その時にまず思い出すのが当時の生家(25年前になくなった)である。そこには八角時計があり、良くゼンマイのねじをかけていた・・・。子供にとって家はとても大事な場所である。その大事な家を設計させて頂く事はこの上ない幸せである。そしてその家族と一緒に祈ることができる。家が家族の器となり幸せを育む大きな衣であってほしいと(人も家も暖かい)。
私が「無塗装の木」に拘って14年、それはなぜかと聞かれると「肌触りが最高」と答えるのであるが、その心底には無塗装の木の体験があったからだと思う。
私が生まれる10年以上前に造られた生家は当然「無垢材」でできており、例えば柱、戸、炭のコタツの櫓のあの木の感触・・・。無塗装なのにつるっとしたあの丸み。小学生のころから「新建材」全盛が始まったが、20才の頃には新建材は偽物であると感じとっていたと思う。
木に塗装が始まったころも私が小学の頃である。当時ラワンと呼ばれる南洋材が市場を席巻しており、そのラワンには塗装が施された。これは従来使われた「杉」にくらべ、表面をカンナで削ってもつるっとしないことと、当時木を茶色にする流行があったのかもしれない。しかしその塗装された木は数年で剥げとても醜いものなったことも肌身で感じた。
大人になってから感じ取れるものは、子供の頃に学ぶ。だからこそデリケートではあるが、同じ地球上でゆっくりと進化した有機物同士の木は、子供の時にこそ触れさせてあげたい・・・。この事は事務所設立時に作成したこの「冊子」にもある。
オーバーホールの終わった4つ丸時計。単なるアンティークではなく、一緒に同じ家で時を過ごしたからこそ愛着がある。
さてこちらが90年位前の精工舎の四つ丸時計・・・。
こちらも生家の柱時計であり、なつかしい・・・。当時カマドのあった台所にあったはず。こちらは数年前から動かなくなり二週間前に修理にだした。時計屋さんも40年仕事をしているが、この時計は相当久しぶりに見たとのこと。今日直って再び現役に。当時のMONOは凄いね。本物の素材は直せば再び50年位は動き続ける事ができる。今回は主軸のオーバーホールだった。
90年もの間、一緒に「時」を刻んできた時計には特別な思いがある・・・時間は決して戻らないけれど、五感(特に音、匂い、触感)は心にのこる。