勘違いで乗り遅れと日本人の意識

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今日はどうかしているのか・・・

燕三条の発着時刻で注意事項のある電車があるとは知らずに新潟行きに乗り遅れた。運転日は金土日のみ・・・こんなことは今までなかった。そんな時刻表・・・色を変えるとか間違えないように改善してほしい・・・かな。

これから在来線では一時間かかるし、新幹線も一時間に一本。結局30分遅刻することになる。

忙しいときほど落ち着いて行動しな・・・といつもの大工さんが言っているがその通り。今日は3年ぶりに新潟で南先生の話があるのでということだったが申し訳ないが遅刻である。

とここまでは燕三条駅で書き込む。

その後・・・

BL研究会新潟親睦会にも厚かましく出席させて頂いた。このメンバーさんは気さくな方の集まりで楽しい。私より殆ど年配の方が多い。そのため話題は「老いた事を楽しむ話」・・・。年金とか、死後とか・・・。

そして新潟駅南口の新潟アンテナ居酒屋さんで親睦会。結構飲んだな~。

そして新幹線で燕三条からタクシーで今到着。35km離れた新潟の飲み屋を出てから三条の事務所まで30分で到着するところが地の利が三条。行きのように乗り遅れなければだが(笑)・・・。

明日は再び県外へ工事監理に行く。朝も早いので早く就寝したいが、世界蹴球がある。うーーーん どうしたらいいのかな~~。

今日私の自由の師である南先生の話を聞いて25年前を思い出した・・・。そうあのころ住宅新聞掲載の南先生のコラムを知って木造は在来工法で行こうと決めたような気がする。時が経った今改めて再び感謝である。(次の世代のために)何を目標に何を我々は行動するのか・・・と言うことを思い出した。

ところで・・・

計画された町並による不動産価値アップと言う話題があった。
最近はちょっと違う意見だが変るのかも知れない・・・。

日本は古くから金持ちも貧乏人も同じ地域に住んでいた事が自慢。ちょっとした例外(部落差別)はあったけれど、この新潟でも庄屋さんと小作さんとは特に隔てていたわけでも無いし、今でも新潟県の上場企業の社長のさんの家は、一般の住民の家と混在して建っている。無論家は広く立派だが、だからと言って金持ちさんだけが集まって地域の価値を上げようとという意識より、同じ地域に住む?住みたいという気持ちが混沌とした町を形成してきた。このことが日本の価値ではないだろうか。だから大きな屋敷と普通の家が入りまじって町並が形成されているし、それが今の東京にも残っていると思う。確かに山手と下町という区別が有ったが、それが決定的な資産価値を決めていた訳でもない。また何故か都内の広いお屋敷は、わざわざ住宅密集地にある事が多い。これも日本文化の特性で、階級別けを意識しなかった事が大きいのではないだろうか。一方欧州やその子孫が住んだ北米では階級別けという差別意識が大きく、その地域はランク上だよとの意識が、町並みを大事にする原動力ではないか。そういった意味で日本は欧米をまねするのではなく独自の住文化が有ってもよいと思う。

いいや日本も古くは町並みを意識して建てていたよ。隣の出雲崎町では古くから同じ家(妻入り)が並ぶではないか?との考えもあるが、それは当時その地域の家は店子、同じ大工さんやその大工さんの弟子が建てるので同じ意匠、雰囲気になる。また地域の風向きや雪の量が同じデザイン、屋根材にするのだろうと思う。人の個性より集団の利だったのか・・・でもこれが地域性であると私は思う。

それでは家には資産価値がいつまで経っても宿らない・・・とお叱りを受けるかも。でも・・・実はそれで良しとしてきたのが日本かも・・・。日本のネイティブ宗教?では、建てものが価値の本質ではないから遷宮(20年に1回建て替え)をしてきたのだ。建物に価値はなく(金よりも)、八百万の神や人伝い(技術)のほうが価値があるという意識の表われだと私は思う。だから家の価値評価はないままでOKなのかも・・・。ではあるがリノベには大賛成・・・使われてこその建築物である。この事は次のブログで・・・。

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コメント

  1. Asama より:

    hachikoku様
     
     コメントありがとうございました。

    >池澤夏樹さんの”終わりと始まり2.0”というエッセイ集

    興味があるので(借りられたり、文庫本がでたら)読んでみます。ご意見を頂きありがとうございます。

  2. hachikoku より:

    下記のパラグラフは、最近 図書館から借りてきて読んだ、池澤夏樹さんの”終わりと始まり2.0”というエッセイ集に”伊勢神宮というシステム”という項目で考察されている内容だと思います。法隆寺と対比されていて、結論はぼんやりですが。
    なんか、いつもの浅間さんの論調と異なるのでコメントしたくなりました。
    —————————————————————–
    それでは家には資産価値がいつまで経っても宿らない・・・とお叱りを受けるかも。でも・・・実はそれで良しとしてきたのが日本かも・・・。日本のネイティブ宗教?では、建てものが価値の本質ではないから遷宮(20年に1回建て替え)をしてきたのだ。建物に価値はなく(金よりも)、八百万の神や人伝い(技術)のほうが価値があるという意識の表われだと私は思う。だから家の価値評価はないままでOKなのかも・・・。