この3ヶ月東日本大震災のことより、福島第一原発(f1)のことを多く取り上げて来ましたが、ここでその総括を一度行います。
私は数年前までは「原発容認」でした。原発反対の人には事あるごとに、
「日本には資源がないので仕方無い。いまもこのように電気を使っている者が反対とは言えない。」
と言ってまるで知ったかぶりの現実主義者のように言って来ました。しかし数年前に平井憲夫さんの手記にふれ、原発発電は間違いと感じるようになりました。そして・・・原発をこれ以上増やしてならないと意識が変わりました。
多分今反対されている多くの人がそのような経緯ではないかと思います。
今、f1が事故をおこし、その政府や東電の収束経緯を体験したとき
「絶対これ以上作ってはいけないし、核のゴミを増やしてもいけない」と確信しました。特にそう思ったのは、使用済み燃料が水素爆発を起こしたとf1の4号機を知った時です。これには愕然としました(今は違う原因といわれてます)。使用済み燃料でさえも30年位人為的に冷やさなければ、「核爆発」を引き起こす事と初めて知ったからです。
あぁー 無関心は罪です・・・。 ○| ̄|_
今の電気を得るため今後の子孫に30年以上も膨大なエネルギーを使って管理させる事が、高度な文明を得た人のする事とはとうてい思えません。それもまだ廃棄方法も決まっていない核のゴミ・・・。全部子孫に押しつけです。
石油やガスを燃やせばCO2がでますが、この多くは生物(植物)が吸収して直ぐに再び炭素に戻してくれますが、核ゴミ(放射能)は誰も短時間に処理できません。数十万年という膨大な時間必要です。ですので温暖化問題と原子力発電を比べること自体ナンセンスです。原子力とは地球の生物循環から完全に縁を切ってしまうものなのです。
さてf1のように起きてしまったことは受け入れるしかありませんので、命があって良かったと思うようにします。ですがこれと今回の事故対応責任はしっかり追求しなければなりません。
そして・・・
「日本は島国なのに人口が多すぎるので自然淘汰するような災害(悔)が起きたのだろう」とおもうようにもします。 もし国土が広大なら、チェルノブイリのように年間5mSvを超えたところは全員避難となるはずだからです。
今は人口が1億3千万人いますが、もしこの事故の処理が今後も思わしくないならば、この20年で急速に人口が減るでしょう。しかしそれも自然の摂理だと考えればちっとも怖くも怒りもありません。淡々と受け入れます。そして確実に思うがままにできる事を行動するだけです。
3月11日から3ヶ月経った6月11日に反原発のパレードが世界的に催されます。その一つとして新潟市でも午後15時から新潟駅前の石宮公園集合で新生公園までパレードが行われる予定です。自由に参加飛び入りもOKだそうです。
私も行こうか迷ってました。こんな仕事が逼迫した忙しい時に何で?と思う方が殆どでしょうが、多分このパレードの参加者の多くは「若い世代の人」です。一番核の恩恵を受けた我々が何もしないで、これまで散々使ってきた核の廃棄物の冷却管理と廃棄を若い人たちだけに責任もたせて良いはずもありません。
一方感情論が高まるこの時期にあえて参加する事も抵抗があります。
私は今後原発は必要無いと思う一方、人類の進歩は何時も「挑戦」だった事を考えると優秀な科学者に核廃棄物処理を期待する気持ちもあります。ただ、今回のように原発公開原則を完全に破り誰も責任とらないこの事故処理であるならば絶対に必要無い発電方法であることだけは確かです。
まずは出かけてそのパレード主旨や行動、方法に賛同できれば迷わず参加します。
浅間英樹
コメント
saccho様 (これを見ていると良いけど)
11日のパレードですが、ユーストリームの過去映像を見ると若いからか結構激しいようです。今回はどうなるかわかりませんが、これを受け入れるパワーか、許容深さが必要かなと思います。
http://www.ustream.tv/recorded/14713145
kotaro様
何時もコメントありがとうございます。
最近の報道を見る度にkotaro様の所はちょっと厳しい事になっていたと思っておりました。
このコメントを頂き、既に受け入れている事を知り大丈夫だと思いました。次もまた笑顔でお会いしたいです。
浅間さんのこのコメントを読みしばらくぶりに投稿します。
自分も原発に対して無知だったのだと反省しています。対応が甘い国のやり方に不安はぬぐえません。原発事故に対応する行動は、結局まったく個人的な判断、決断になるのだと思います。周辺地域の住民の方々がどのように行動するかは、私など第三者がいかなるアドバイス、考え方を言おうが、ひとつの評論に過ぎないのではとの思いを持ちました。
政府は情報を制御し、最悪の状態が見通せても公開せず、別の基準で判断しているように思います。国の方針を待っているのでなく、得られた情報を基に自分で決断しなければなりません。家族を守るために、しばらく離れ離れになる、新天地で仕事を探すなど、どのような決断も苦渋の決断に変わりはありません。その決断について何か言えるだろうか。愛読している日経ビジネスオンラインで伊東 乾さんの記事を読みました(http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110604/220427/?rank_n)。浅間さんが危惧している校庭の放射線量基準について、ここでも取り上げています。
リーマンショックから回復しつつあったところに、3.11で再び大幅に目減りしてしまった家作り資金。それが回復するのを待ちながら、宮城の災害ボランティアに行き、脱原発Tシャツを着て(http://www.sunaga.org/works/311t.htm)二、三日の作業をしたり、きちんと節電に努めたり、日々の積み重ねを続けます。一滴の水を大切に使う、簡易太陽光発電でもこれができるなど、ボランティア現地で体で学ぶことも多いです。
それにしても日本の政治家は酷いです。被災東北3県の議員は政党に関係なく直ぐに協力して動けると思われますが、住民の必要とするものを把握しているのだろうか。土が、海がどれほど汚染されてしまうのか。福島原発収拾がまだはっきりしていない現在、これからまだ新たな広がりが判ってくるのではないかと懸念は大です。原発関係者には福島にモニュメントを立て「過ちは繰り返しませんから」と名を刻んで欲しい。
しばらく前から突然私の記憶の耳の奥で40年以上前のジョーンバエズの歌「雨を汚したのは誰」が流れ続けています。
saccho様
何時も暖かいコメントありがとうございます。
気持ちが同じである事ってとてもうれしい事です。力にもなりますし、前に進む勇気が持てます。ありがとうコメントです。
日本では主張のあるパレード自体に対し眉をしかめる方が多いでしょう。争いを好まない人種である私達にふさわしい事かわかりませんが初めての一歩です。
まず、このような問題に対し意見や情報を正面からしっかりと発言される姿勢に敬服しています。
同じく少し前に平井憲夫さんの手記を読んで愕然としたクチですが、それでもこの福島のレベル7が起こるまでは何とか成るだろう。と現実を直視せず根拠の無い楽観論に浸って毎日を過ごしていました。原子力利用の危険性に気付かせてもらっていながらも日々日常にかまけて見て見ぬ振りをしてきたわたしも有罪ですね。
現在も事態のあまりの深刻さに浅間さんの様には真摯に現実を受け入れる事は出来ていません。そこまでは達観出来ない心境です。しかし、今度こそ現実を直視しなければならない時と思います。子供たちの未来に我々は何と大きな負債を残してしまっているのか(現在進行形です)真剣に考えなければなりません。ですが、真剣に考えれば考えるほど絶望感、無力感に苛まれます。修行が足りてませんね、反省orz。
考えているだけでは始まらないので何かのきっかけになればと思い、わたしも無理して休みを取りました。6.11、新潟駅前に行ってみるつもりです。