・・・とか言われている  を安易に使わない。

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もし建築士の免許を持っていて、建築士の仕事(設計、工事監理、アドバイス等)のして報酬を得ていれば「専門家」になり、特に資格に「士」がつく分野は、国のお墨付きがあるので、、ネットでも情報発信の内容は慎重に考えなければなりません。

建築士には「士」がつきますから国のお墨付きで生業を行っている事になります。よってその建築に関する情報発信は慎重になります。

特に・・・建物の安全性につながる「構造」の情報発信には注意が必要です。

熊本の地震をきっかけに建物の耐震性のことがネットでも話題になります。

そのさい建築士として注意しなければならないことは、

「・・・といわれている」

「・・・のようだ」

と表現される時です。これは・・・もし間違っていてもその責任は自分ではないとの宣誓で、
特に法律、条文、指針などで明確に記されている数値、内容と違う事を、如何にも事実のように伝え、不安を煽ったり自分だけを優位に見せるるのはNGだと私は思います(阪神淡路大震災でも大手メーカーが木造軸組はダメと煽った)。これは表現の自由という権利の乱用とも言えます。

もし専門分野での発言で、

「・・・といわれている」と専門家が使うのであれば、ソースを明らかにしなければなりません(雑誌や個人の発言からなら更にNG)。それをしなければ井戸端会議の会話と同じで、特に最近はSNSから安易な情報が拡散したりしていることを目の当りにするとそのように思います。

建築基準法と違う事を「・・・ようだ」で自身の考えと同じようにかぶせる言い方をするなら、専門家として根拠を示す必要があります。出来れば自分で実験したとか、このように計算し答えを得たとか・・・です。

建築士としての発言でなく一個人としてなら前置きで断わればよいと思います。これは私がよく使う「仮説」とか、自身だけの思い込みかも・・・とかです。

専門分野が直接生業でない学者(大学の先生が研究として発言するとき)は、授業でなければどんなことを言ってもよいですが、専門家が専門分野を説明するときには定説や法文等をまず説明し、それ以外の時は注意しなければなりません。もし学者でも生徒に授業で自分だけの理論、考えをだけを伝える事は、洗脳と同じ事になります。

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コメント

  1. オーブルの浅間です。 より:

    木原様
     コメントありがとうございます。
    >自説を自説として堂々と述べ、学生と討論し、それぞれの意見に耳を傾け、そこからヒントを得て、さらに自説を発展させる・・・
    全くそのとおりと思います。
    木原様と議論される皆様は幸せです.。ありがとうございます。

  2. 木原 より:

    技術の分野では浅間様のおっしゃることは真にその通りだと思います。
    ネットが情報収集の大きなチャンネルのひとつになっている時代です。典拠の怪しい情報と、そのコピペで溢れている中からまともな情報を選別するユーザー側の能力も問われると思いますが、専門家が自己の意見を対外的に発する際には、発言責任をもつことは絶対です。
    > 学者でも生徒に授業で自分だけの理論、考えをだけを伝える事は、洗脳と同じ事になります。
    ここでおっしゃる「洗脳」でもかまわない場合もあるのではないかと思います。人文系ではほとんどの学説や理論は本で独学できます。教師の名に値する教師なら、どの本にも書かれていないことを話すべきで、だからこそ学生を教室に呼べます。自説を自説として堂々と述べ、学生と討論し、それぞれの意見に耳を傾け、そこからヒントを得て、さらに自説を発展させる。そういう知的生産の場としての教室では、「洗脳」しようとする教師と「洗脳」されまいとする学生とのガチンコ勝負=恊働があります。少なくとも大学院の博士課程ではそうあるべきだと思い、日々実践しております。
    もちろん、もっと力の弱い学生には、じゅうぶんな注意を払わなければなりません。逆説的な言い方ですが、「何も教えないようにする」ことこそ大切だと、これも日々苦心しております。