感謝の気持ち

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中越沖地震発生してから2週間ほど経過した。その間に色々な事を学んだ。その学びは感謝の気持ちがないと情報を間違えて捉えることにもなる可能性が高いと言う事。新潟県は今、地震による風評被害は大きいようだ。私の耳にも柏崎刈羽原発が事故を隠蔽していて、実は相当量の放射能を漏らしたなどと、発信元が定かでないインターネットのあやふやな情報を信じてしまう人がいる。しかしTVで写し出される汚染物質を貯蔵する水のプールからこぼれた水を、簡単な作業服だけでふき取っている原発作業員の姿を見れば、放射能が漏れて危険で、その事を隠蔽していると感じないはずだ。その姿は懸命にふき取る気持ちが伝わる。こういう危険性が高い場所で働く人がいるからこそ電気が不自由なく使えるととらえれば、誤報を鵜呑みにする事は無いだろう。すると反論する人がいる。高いお金をもらっているし、自分で仕事を選んだのだからその人に感謝する必要はないと。・・・とてもさびしい考えである。私は色々な人無しでは生きていけないことを知っている。自分では出来ない事をする人に素直に感謝し、しっかりと見据えれば、今何が危険で何が事実と違うかを適格に判断できるのではないだろうか?新潟県は放射能汚染はされてませんよ。ときっぱり!!

私は原発反対でもなく強い推進でもない。しかし原発以外に今の電気需要量を支える手段が無ければ、可動は勿論、今後の原発増設もやむ得ないと思っている。このブログも電気無しでは発信はおろか、書く事もできないし、冷たい飲み物も、水道水さえも飲めなくなる。現実を見た場合、電気無しではこの生活を維持する事は不可能であることは事実である。事故は絶対無くすことはできると言い切れないが、可能な限り0に近づけることはできると信じている。確かに不手際はあったが、今回の地震で原発が最悪の状態にならなかった事を感謝し、今後の安全性の確保にいかしてもらいたいし、自分でも肝に命じよう。

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コメント

  1. 匿名 より:

    柏崎刈羽原発は想定以上の揺れに対して頑張って持ちこたえたと思います。設計面の安全に関しては良く考え設計されていたのだと思います。設計が悪く制御棒に何らかの問題が生じ核燃料の隙間に入っていかなかったらと考えると、ぞってします。(緊急停止のあとにちゃんと制御棒の固定はできているのかが少し心配ですが)
     ただ、やはり断層を無視して立てたことなどは、設計や技術力の問題よりも政治的な力を感じてしまいます。
     地震での被害の中原子力発電所で働いておられる方々には頭が下がる思いです。
     原子炉本体と外部の重要な建造物をフレキシブルにつなぐ。または一体構造とするということをしなかったということに関しては地盤が悪い場所での建築知識が生かされなかったのかと残念でした。
    そもそも地震で液状化は起きないと考えている地域だからでしょうか。(地盤が悪いと柱状改良した本体がいつの間にか成長して背が高くなる?現象が発生します。(新潟市郊外のホームセンターなどでこの現象を見ることができます)ガス管など外部との接続をフレキシブルにしておかないと必ずはずれるはず)
     我が家も柱状改良を施しているため大地震の時には必ず回りの地盤の方が沈下することになると思います。このときに水道管とガス管が原子力発電所のように不具合
    を起こすと思います。しかしそれぞれの管が基礎の高い位置から入ったきているため案外どうにかなるかもしれません。