寺泊より  マグロと鯨に思う・・・。

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本日は月曜の定休日なので寺泊で付き添いの必要な愛犬と一緒にお留守番です。
写真は昨日がホワイトディーだったので妻と娘にまとめて花をプレゼントしたものです。温室で育った花は路地物よりエネルギーを多く使っていますが、一年に何度もあるわけではありませんのでこの時ばかりは気持ちよく花を楽しみます。花はその香りでも幸せな気持ちにさせてくれます。花に感謝・感謝。・・・あっ、上からぶら下がっている黒い物体は菜園で収穫したばかりの椎茸を干しているところです。

クロマグロに世界的な規制がかかるようです。仕方のないことですね。今までおいしく食べられた事に感謝し必要以上に世界の多くの人が「いやがる事」はやめていきたいです。鯨でも問題となってますが私は、「いやがる」人がいるならその人の前でのわざわざ捕獲するのは良くないと思います。「昔からの日本の文化」だとの主張も理解できますが、江戸時代
にわざわざ大型船で遠洋まで行って鯨を捕獲してはいません。あくまでも近海の海での捕獲であり、この主張はどう見ても当時と環境が違いすぎます。いやがる人が大勢いる国の近くで、わざわざ捕獲することには理解が得られませんし、江戸時代と違い鯨を食べなくても他に沢山食べられるものがいっぱいあります。

モラルや法律とは何でしょう?
どんなモラルでもその主旨は、自分以外の人がいやがる、気分がわるい事をなるべくしないためにある約束事ではないかと思います。その内容がとても重いときに「法律」による規制(窃盗や殺人の禁止)となるのではないでしょうか。人がいやがっていても、平気でそれをいやがる人の目の前で行うことは、「いじめ」のようなものです。ですのでもし鯨が捕殺することが耐えられないと思う人が大勢いる文化圏、および世界の海=公海では自国の主張だけではそれをしてはいけないような気がします。また従来から捕鯨を仕事にしている人もいますから当面200海里以内であれば、ある程度文化として理解して頂きたいと願ってます。鯨がかわいそうという感傷的な事になると、牛は?豚は?という事になるので話が難しくなりますが、まず原則は「他の人がいやがることはしない」です。
もちろん反捕鯨団体の実力行使はとても肯定できません。

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